桃山晴衣の音の足跡(35)『梁塵秘抄』の世界 其の四

「中世の激動期に完成された『梁塵秘抄』」 「梁塵秘抄が」誕生したのはいつ頃で、その背景はどのようなものだったのか。桃山の著書「梁塵秘抄・うたの旅」を参考に概説してみよう。桃山は「後白河院の祈念と企て」と題する章で、まず「何かに憑かれたとしか…

桃山晴衣の音の足跡(34)『梁塵秘抄』の世界 其の三

ここで『梁塵秘抄』について簡単な説明をしておこう。 『梁塵秘抄』は平安末期に大衆の間に最も広く流行した歌謡、「今様」が、後白河法皇によって集大成された歌謡集である。明治44年和田英松博士の尽力でその一部が発見され、翌大正元年佐々木信綱の手によ…

桃山晴衣の音の足跡(33)「梁塵秘抄」の世界/其の二

「裏の雑木林を風が吹きわたる葉ずれの音を、驟雨と聴き紛うことがある。逆に大粒の雨の降り出しを風と聴き違えることもある。一陣の天意にふりはらわれて地面に滲みる幾百万の雨滴。わくら葉のひそやかな離脱・・・・」 先に桃山晴衣が75年から80年にかけて…

桃山晴衣の音の足跡(32)「梁塵秘抄」の世界/其の一

『遊びをせんとや生まれけん〈梁塵秘抄の世界〉』(VIH28036)は、歴史の奥深く沈んだ民衆の歌を現代に甦らせようとの大胆な試み。桃山晴衣は創造力の一切を賭け当時の音曲を復元し、その上で現代人の感覚と交錯させることに成功した。作曲、三味線、唄の三…

桃山晴衣の音の足跡(31)辰年に「夜叉姫」

昨年書き続けてきた「桃山晴衣の音の足跡」が、宮薗修業時代のところから休筆状態になってしまっていたが、その続編を今年の干支、龍年にちなんだ話とからめてスタートしてゆきたい。龍は世界各地の古代神話に登場するが、日本でも出雲の八俣の大蛇神話に語…

賀春2012

あけましておめでとうございます。 年越し、元旦は残雪の郡上、立光学舎で静かに桃山晴衣の新年の小唄を聴きながら過ごしました。 こんな風景も唄もなくなっていく日本はどこへいってしまうのか。 三ヶ日は書き初めならぬ、三味線の弾き初めです。 本年が皆…

年の瀬に

今年もあと残すところ三日となりました。 ブログをご覧いただいている皆様に感謝の意をこめて、桃山晴衣の小唄二番をもって年の瀬の挨拶に代えさせていただきます。 よいお年をお迎えください。

金梅子(キム・メジャ)&チャンム舞踊団、京都公演

昨年12月、NARASIA2010で初演となった金梅子さんとのコラボレーション「光」は、今年五月に韓国の高陽市のダンスフェスティバル、八月に岡山県美星町中世夢ケ原の野外舞台、そして今月の10日には京都芸術劇場春秋座での公演と、四回にわたって上演されて…

間章の命日に「ドキュメント/自由空間 ある青年の試み」

1978年12月12日、32歳の若さで急逝した間章のめぐりくる命日を迎え、you tubeにアップされたドキュメント番組「自由空間 ある青年の試み」を。1972年に制作されたこのドキュメントから、70年代を疾走した間章の行動の原点がうかがえる。

桃山晴衣の音の足跡(30)/「生成消滅」に託されたメッセージ

<生成消滅/桃山晴衣&MOMO> 今日、12月5日は2008年に昇天した桃山晴衣の命日である。彼女が亡くなってからというもの、深い悲しみにつつまれ、心も体も凍てつき、長い闇を彷徨い続けてきたが、この間彼女を暖かく見守り続けてくれた全国の人たちの事を思い…

添田唖蝉坊の「ああ踏切番」

<ああ踏切番> 前回のブログで馬喰町ART+EATでの「添田唖蝉坊、知道の明治大正演歌を唄い、語る」について触れたが、ここで今一度、添田唖蝉坊の曲「ああ踏切番」について作家の長谷川伸氏が『唖蝉坊流生記』の序文で書いているので紹介しておこう。 この『…

馬喰町ART+EAT「明治大正演歌」を語り、唄った二日間

馬喰町ART+EAT「明治大正演歌の会」 先日、二日間にわたって馬喰町ART+EATで「日本のうたよどこいった/語り・唄いつぐ明治大正演歌の世界」と題した音楽夜会を開催した。明治大正演歌は桃山晴衣が演歌創始者二代といわれる添田唖蝉坊、知道の後者に二十年近…

土取利行の音楽夜会「日本のうたよどこいった」

「ままにならぬは浮き世のならい まま(飯)になるのは米ばかり オッペケペ オッペケペッポー ペッポッポー」 壮士演歌とよばれる川上音二郎の「オッペケペー節」の冒頭の歌詞である。 これは明治23年から24年頃に作られたものだが、この頃「ままになる…

11月に開催する二つの弾き語り(その一/ティエルノ・ボカールのことば)

「あなたの真実、わたしの真実、そして真実」 アフリカ、マリの小さな村バンディヤガラで孤独な死を遂げたイスラーム、ティジャニヤ派の導師ティエルノ・ボカールの神秘のことば。アフリカの大作家、アマドゥー・ハンパテ・バーによって書かれた『ティエルノ…

神楽三昧の秋過ぎし

(和良町、戸隠神社での大神楽) 十月は神楽の月である。今年は郡上市で二つの神楽を見学した。一つは和良町の戸隠神社、もう一つは明宝町の白山神社(かつての明方村)で、ともに大神楽と伊勢神楽が奉納された。 郡上市には百余カ所で神楽が伝えられてきた…

吉田川、歌舞伎と神楽で秋の音連れ

郡上八幡の市街地は長良川、小駄良川、吉田川の三川が合流する水の町である。その吉田川を北に4キロほど上がってゆくと、我が立光学舎近郊の市島地区に辿り着く。 この市島地区には高雄神社が建立されていて、毎秋十月の第一土・日曜日に大祭が催される。祭…

桃山晴衣の音の足跡(29)具わる年令を超えた芸格

「何人目かの稽古中にソッと抜け出し、地下街のバーで、ハイボールをひっかけて戻ってくると、エレベーターを降りるや否や、彼女の唄が聴えてきた。ビルディングで、音響の効果がいいのか、彼女の声がビンビン響いてくる。これも後でわかったことだが、何も…

韓国の舞踊雑誌に発表された美星町「中世夢が原」での公演『光』

月日は前後しますが、今夏8月6日に開催され、反響をよんだ岡山県美星町「中世夢が原」開園20周年記念公演、「光」の掲載記事が、先日韓国から送られてきたので発表しておきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <キム・メ…

9月14日「渋谷伝説・金王丸」奉納

東京の渋谷に関係した物語と云えば、かつては待ち合わせ場所としても人気のあった忠犬ハチ公像にまつわる話を、誰もが思い浮かべるのではないだろうか。が、渋谷には何百年もの昔から伝えられる、忠犬ならぬ忠義、忠節を重んじた武将の物語がある。その武将…

呼吸するアルトサックスと呼吸するドラム

京都でのイベント今週です!【ブレス・パッサージBreath Passage2011】 姜泰煥(Kang Tae Hwan)(アルト・サックス) 土取利行(パーカッション) 山田せつ子(ダンス) 9月10日(土)開場:17:30 開演:18:00 会場/京都河村能舞台(京都市上…

NHK BSプレミアム「日本美術の一万年 魂の縄文アート・土偶』

<TV番組のお知らせ>NHK BSプレミアム「日本美術の一万年 魂の縄文アート・土偶』 放送2011年9月5日(月)Pm9:00~ NHK BSプレミアム 日本美術の傑作を、(1)感じる(2)作る(3)使うという3つの方法で体感しながら、作品に込められた「思わぬ日本人の感性や精…

桃山晴衣の音の足跡(28) 幻の古曲、宮薗節(七)

<宮薗節の面影を残す桃山の弾き唄い/たもと> これまで述べてきたように、宮薗節は宮古路豊後掾の門人であった宮古路薗八が亨保年間(1716〜1735年)の末に興した豊後系浄瑠璃の一つであり、特に日本が明治維新での西洋化、世界大戦への参戦などで…

桃山晴衣の音の足跡(27) 幻の古曲、宮薗節(六)

千寿師匠の思い出と死 <桃山晴衣筆、宮薗節:鳥辺山台本:細部にわたって唄と糸の節回しなどが鉛筆でマークされている> 内弟子時代、桃山晴衣は千寿師匠とよく旅をした。箱根千石原の俵石閣で開かれるおさらい会は、毎年銀座のガスホールで開かれていた千…

桃山晴衣の音の足跡(26)幻の古曲、宮薗節(五)

桃山晴衣の師、四世宮薗千寿(人間国宝)は本名を水野ハツといい、1899年明治32年9月10日、東京神田生まれ、生粋の江戸っ子である。 桃山の話では「四十歳過ぎた母親に生まれた、俗にいう恥かきっ子の師匠は、幼児の頃からのキカン気に芸事が大好きで、自…

友来たり、精霊来たる郡上踊りの夏

8月13日から16日までの四日間、盂蘭盆会を迎えた郡上八幡は寝ずの街と化し、郡上徹夜踊りが行われる。夜8時から朝の4時までお囃子衆を乗せた屋台車が四つ辻の真ん中に据え置かれ、それを取り囲んだ踊りの列が四方の街路へと延び、歩行もままならぬほ…

盛夏、暑中お見舞い申し上げます。

暑中お見舞い申し上げます。 郡上は昨日から郡上踊り徹夜モードに入りました。地元の人達の帰省とともに精霊たちも山郷に戻り共に夜を踊り明かします。立光学舎を建立した当時は、桃山とよく踊り明かしました。彼女も、そして地元の素晴らしい文化人、踊りス…

「山のシューレ」結び舞台で生まれた縄文土偶

報告 7月31日那須での「山のシューレ」結び舞台で生まれた縄文土偶 梅雨が明けたと云うのに、にわか雨の多いぐずついた天気が毎日続く。7月29日から31日までの三日間、那須で開催された「山のシューレ」は連日悪天候に見舞われた中でのイヴェンとな…

桃山晴衣の音の足跡(25)幻の古曲、宮薗節(四)

四世宮薗千寿師と桃山晴衣 先述のように、桃山晴衣は宮薗節と深く関わってきた家系の中で育ってきた。宮薗節中興の祖といわれる山城屋清八(初世宮薗千之)の二人の女流門弟、小川さな(二世千之)、梅田たづ(初世宮薗千寿)のうち前者、小川さな(二世千之…

桃山晴衣の音の足跡(24)幻の古曲、宮薗節(三)

けっして順風満帆とはいえない宮薗節の伝承であるが、ここで桃山晴衣の父、鹿島大治氏の宮薗節に関する興味深い文章を紹介しておく。 これは昭和36年の「邦楽の友」に連載していた『芸道牛涎録』と題する随筆に書かれたもので、彼が出会った明治、大正、昭…

桃山晴衣の音の足跡(23)幻の古曲、宮薗節(二)

さて、町田嘉章氏の「宮薗節の起こりとその伝承」を参考に、明治から現代にいたる宮薗節後継者の流れを見てみると、先の二人の名取り小川さな(二世宮薗千之)、梅田たづ(二世宮薗千寿)は、明治二十一年年十二月に宮薗清八こと宇治里清三郎の頭取のもと、…