「11&12」の音楽について(2)エスラジ

ピーター・ブルック国際劇団で音楽活動を始めて30年以上になる。
1976年に入団した当初は、まだフリージャズのドラマーとして活躍していた頃で、即興劇で演奏したのも簡素化したドラムセットだった。翌年の「ユビュ王」ではこのドラムセットに小さな笛などが加わり、「鳥たちの会議」ではドラムセットの周りに自家製の竹のシロフォン、ゴング、尺八、グロッケンシュピール等が並び出す。そして大きく様変わりしたのは「マハーバーラタ」での演奏から。九時間以上に及ぶこの超大作ではトルコのネイ奏者、イランのケマンチェ奏者とザーブ奏者、デンマークのフルート奏者とのアンサンブルとなり、私は音楽監督演奏家として長いインドでの音楽修行の末、インドの数々のパーカッションを始め、弦楽器、フルート、そして歌と、マルチインストゥルメント奏者として舞台に立った。この地点で完全にドラムセットとは無縁になり、このスタイルが以後の作品でも続いていった。
 ちなみに今回の「11&12」は一人で全音楽を担当。楽器はアフリカ・マリのドラム(ジャンベ)、バラフォン、弦楽器(カマレン)とインドの弦楽器(エスラジ)と笛(バンスリ)、イランのサントゥール、トルコのダラブッカ、シンバル。そして「マハーバーラタ」同様、歌もうたった。とりわけ役者の台詞と不可分の音響効果を持つ弦楽器エスラジは「マハーバーラタ」以来、「ハムレットの悲劇」でも主要楽器として用いて来た楽器で、私の劇音楽からは切り離せない大切な楽器となっている。
 そもそもエスラジに出会ったのは「マハーバーラタ」の音楽調査でインドのベンガル地方を訪れた時に聴いた「タゴールソング」がきっかけである。タゴールソングは世界的なインドの詩聖ラビンドラナート・タゴールが詩の朗読や2000曲におよぶ自らの作曲による歌(タゴールソング)を歌う時に伴奏楽器として用いていた繊細な音の擦弦楽器である。ブルックの演劇では役者がオーバーな演技をせず、声を張上げて台詞を喋ることもなく、自然な声で内面から台詞が沸き立つような状態で演技が展開していくため、音楽もまた大げさな伴奏や情緒を高めるような効果音はあまり用いず、役者の台詞に溶け込むような音を奏することが重要なのだ。そのためタゴールが詩の朗読に好んで用いていたエスラジの音は最も理想的といえるのである。
 この楽器を初めて習ったのはタゴール・ソングの名手であるシャルミラ・ロイから紹介されたシャンティニケタン(タゴール学園)の音楽教授でもあった故・ラナディル・ロイ氏から。エスラジは先に書いた様にとても繊細な音でソロ楽器としては程遠かったものの、1937年、まだ17歳の若さでタゴール学園で古典音楽の教師として活動を始め、以来シャンティニケタンで生涯を送ったアシェッシュ・バンドパデャヤがエスラジを古典音楽の楽器として演奏し、1978年にEMIから巨匠、ウスタド・ケラマツーラ・ハーンのタブラを伴った初めてのエスラジの古典音楽演奏を録音している。アシェシュの弟子であるダナディル・ロイはさらにエスラジそのものをシタールのように大型化し、さらにソロ楽器としての魅力を発展させていた。しかし50歳にも達しない若さでこのエスラジのマスターは夭逝してしまった。シャンタニケタンの自宅で、またパリのシャルミラ・ロイの家でも友人として親切にこの楽器の奏法を教えてくれた天才音楽家の死を今更ながら残念に思う。
 また私がこの弦楽器を自らの演奏楽器として選んだのは、「マハーバーラタ」で用いる楽器は誰が聴いてもすぐにインドの音だと分かってしまうシタールやタブラはメイン楽器としては用いず、他の楽器を見つけてくることを音楽調査に出かける前にピーター・ブルックと約束していたからでもあり、このエスラジと出会ったときはまさに理想の楽器を発見したと、感慨もひとしおであった。

エスラジの演奏で詩を朗読するタゴール

アシェッシュ・バンドパデャヤ

ダナディル・ロイ