2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

桃山晴衣の音の足跡(15)小唄とアナキズム/秋山清との出会い

安田武が『思想の科学』で「桃山晴慧論」を書いた翌年の1964年、尾崎秀樹が編集人を努める『大衆文学研究』という雑誌の第九号に「座談会・文弥新春芸談」と題した記事が掲載されている。会のメンバーには岡本文弥、添田知道、虫明亜呂麿、安田武、大竹…

「桃山晴衣の音の足跡」番外篇 東北関東大震災に寄せて

今回の東北関東大震災の惨事によって、悲しみの連鎖が日本列島を覆い尽くし、私自身もしばし思考停止状態が続き、ブログを先に進めることもままならなかった。 この地震をめぐっては被災地の状況をはじめ様々な角度から問題提起がなされているが、深刻な原発…

桃山晴衣の音の足跡(14)明治大正演歌と添田知道(2)

「こないだはごちそうさま。いろいろ準備でたいへんのときと思うけど、もしそのなかでくり合わせがついたらとお伺い。荒畑寒村老の生誕会を毎年やっているのだが、世話人の、いつか行った巌嘯洞の平岩と近藤真柄、おんなビッコ隊、それがこっちへ出向いてく…

桃山晴衣の音の足跡(13) 明治大正演歌と添田知道

「古典と継承」シリーズで、桃山晴衣は「雪女」「婉という女」など語り物に挑戦した。それは明治以降、西洋音楽を尺度にするようになり、語り物が音楽ではないという風潮になってしまっているという疑問からの出立であった。うたが好きだった桃山は、常に自…

桃山晴衣の音の足跡(12)子守唄

わらべうたと同様に、桃山晴衣が非常な関心をもっていたうたが子守唄である。わらべうたは男女ともにうたう子どものうたであるが、子守唄は子守りをする守り子や母親、つまり女性のみがうたった特有の唄であるということも、彼女にとってより魅力だったにち…

桃山晴衣の音の足跡(11) わらべうた

小泉文夫氏の『おたまじゃくし無用論』は日本の音楽教育批判とその変革についての書であるが、氏は幼年期ないし子供時代の音楽体験が非常にに大切で、”わらべうた”こそを音楽教育の根幹に据えるべきだと一貫して主張してきた。20年以上におよぶわらべうたの…

桃山晴衣の音の足跡(10) 桃山晴衣と小泉文夫

桃山晴衣が小泉文夫氏と初めて会ったのがいつかは定かではないが、於晴会の仲間だった水沢周氏から、高田宏氏編集による当時非常にナウかった対話叢書「エナジー」の4号「音の世界図 団伊玖麿+小泉文夫」をすすめられて読み、「ほかにも二、三先生の書物に…

桃山晴衣の音の足跡(9) 小泉文夫著『おたまじゃくし無用論』

25日は昨日の演奏会とはうってかわった内容のレクチャー「桃山晴衣と日本音楽」を吉祥寺のサウンドカフェdzumiで持った。ここは少々日本音楽とはほど遠い欧米のフリー・インプロヴィゼーションやフリージャズなどをハイパーサウンドシステムで聞かせるこだわ…