不運の4月

日本・イランの往復飛行、ヴィザトラブル、乗車時間よりトランジット待ち時間の方が長い頻度の乗り換え、エコノミー症候群、10時間のバス往復、「間展」本番での各会場不備、期待していたゾロアスタードームは結局女性音楽家の参加を拒否して実行できず。心身ともに疲れたままサマルカンドへ、風邪を移され濁声のまま帰国。やっとの思いで郡上について病院に行ったが、風邪かコロナかつかめず救急車で岐阜の病院に。肺炎の症状が出ていて血清と酸素吸入で一週間、一ヶ月の入院が必要と言われたが、奇跡的に4日で血清・酸素の管は外せ、エリック・マリア=クチュリエとのコンサートが控えていたため、リハビリを続け薬をもらい二週間で退院させてもらった。名古屋、京都、高松、海岸寺でのサヌカイトとチェロのコンサートは満身創痍から抜け出せないままの不思議な感覚で無事終えることができ、京都でのコンサートホールが「間」展の磯崎新さんの設計というのも奇遇だった。今後の旅はドクターストップ、「間」展続行は難しくなった。4月は演奏会で体を駆使したため5月はコンサートもせず、郡上で調子を取り戻すよう指示があり、今日庭に落ち着けるベンチを設け、新緑の山川を見ながら、エリック・マリアとの奇跡のコンサートCD化に向けて編集作業を進めながら過ごそうと思う。(石のテーブルの上にあるランプは、名古屋のVANKI、小島夫妻からのプレゼント)