「11&12」の音楽について(1)桃山晴衣の梁塵秘抄

 昨夏、英語版「11&12」の制作準備で新しい役者たちがポーランドブロツワフに集まり、グロトフスキ協会の助力によってポーランド劇場で数週間のプレリハーサルを行っていた。この数ヶ月後に再び役者たちはパリに集まり、本格的なリハーサルを始めたのだが、ブロツワフを発つ数日前にピーターとマリエレーヌがHarueのうたが聞きたいというので、彼女のCD「梁塵秘抄」の数曲を一緒に聴いた。そしてしばし聴き入った後、ピーターがこの歌を「11&12」のエンディングに使いたいと言った。
 Harueこと桃山晴衣は1990年から1991年にかけて上演したブルックの『テンペスト』で、私とイランのケマンチェ奏者、マモード・タブリジ・ザデと共に素晴らしい音楽を作り上げている。長旅になるため実際の舞台には参加できなかったものの、彼女は「テンペスト」では多くのうたを作り、とりわけマリの役者バカリ・サンガレの演じるエアリエルの歌をすべて作曲し、その自然な歌い方も丁寧に教えた。数ヶ月間のリハーサルでも役者たちに様々な歌の訓練やエキササイズを行い、舞台の最後を飾る歌をブッフ・ドュ・ノール劇場で録音した自らの「梁塵秘抄」の中の一曲「遊びをせんとや生まれけん」で締めくくった。

<「テンペスト」最後のシーン、プロスペローの独白>

「・・・もう妖精も魔法も使えない身となってしまった私に残るのは、絶望のみとなってしまいます。後は神に祈るばかり。慈悲深い神にこの祈りが届き罪を許してもらえるよう、皆様もどうか一緒に、この身が自由になるよう祈ってください」

「ソティギ・コヤテの演じるプロスペローの最後の言葉に桃山晴衣の透明な声が余韻を添えて舞台が終わる」(笠羽映子/テンペスト日本公演パンフより)

 フランスの新聞「リベラシオン」が<劇的・魔術的「浄化」>と評したブルックの「テンペスト」。そこに彼女の歌の力が大きく作用していたことは間違いない。

 「11&12」でも、ブルックはシーンの最後をうたで締めくくった。この最後のうたをHarueのうたでということで、パリのリハーサル会場ではしばし桃山のCDを流していた。アカペラで録音された彼女のうたはレパートリーが限られていて選曲に迷ったが、結局「梁塵秘抄」から「吹く風に 消息をだに・・」という曲を選んだ。ところがリハが進むにつれ、ブルックはこのうたを私に歌うよう指示した。激しい太鼓から繊細な弦楽器、フルートまで、マルチインストゥルメント奏者として舞台に立つ私にとって、桃山のうたは声を張上げず繊細にストレートに歌うため、咽の調整が非常に難しい。特に一時間半、演奏をし続け、いがらっぽくなった咽で、この繊細なうたを歌うのは容易ではない。
 結局、本番ではすべての役者が舞台から去った後、静まり返った空間で一人、私が桃山の歌を歌うはめになったが、歌い終わった後、照明も変化せず、役者も出てこないため、観客の拍手もなく長い沈黙が続く。
 
テンペスト」同様、「11&12」でも最後を飾ることになった桃山晴衣の「梁塵秘抄」。彼女が独自に作曲し歌い続けてきたこのうたは、ブルックの演劇世界に何の違和感もなく溶け込み、飛翔した。12世紀、日本のどこかで誰かが口ずさんでいた歌、それに霊力を与えて歌った女性「遊び」たち。そして後白河が再編集した「梁塵秘抄」の中に眠っていたこの歌詞に新たな霊力を与えた桃山晴衣。伝統歌が幾重にも変容し、時をを超え、日本を超え新たな伝統歌となって世界に飛翔する。
 桃山晴衣が昨年急逝し、また「テンペスト」で共演した音楽家のマモード・タブリジ・ザデーが数年前に、そしてプロスペロー役のソティギ・コヤテも今年亡くなってしまった。私が歌うことになったこの最後の歌は、「テンペスト」で舞台を共にした彼らへのレクエイムでもあった。

プロスペロー(ソティギ・コヤテ)とミランダ(シャンタラ・シバリンガッパ)

エアリエール(バカリ・サンガレ)