「11&12」世界ツアー終了

「11&12」の世界ツアーがイタリアのスポレートで幕を閉じた。気分的には韓国ソウルで終わりたかったのだが、三日間の公演が後で付け加えられたのである。わたしを除いて役者やスタッフは居住地がヨーロッパないしはそこから近い所であるため、問題はないが、わたしはソウルから目と鼻の先の日本に帰れず、またヨーロッパへ逆戻り。ソウルからローマの空港に着いたのは夜10時過ぎ、そこからスポレートの街までは車で2時間ほどかかる。すでに周りは暗く、しばらく市内を走った後、車はほとんど闇の中を抜けていく感じでまったく景色の見えないまま、うつらうつらとしているうちにホテルに到着。(ローマへの帰りは朝だったため山並みの続く美しい所だった)。深夜というのに庭のテラスや室内ロビーには人が大勢集まっている。が、劇場関係者は見えず居所がつかめないまま与えられた地下の部屋でこの日は就寝。
 翌朝、薄暗い地下の部屋から外に出ると燦々と日が照って、カラッとした空気に包まれている。湿気た夏のソウル、アニハンセヨからボンジョールノ。周りは一転してアジア人からヨーロッパ人。
 スポレートは元々ウンブリア族という民族の居住地でその後、ローマ帝国支配下になったり、わずかな期間ではあったがフランスのナポレオンの支配下にもなったことがあるらしい。ともかく先史から歴史時代を通じて多くの民族や為政者たちがこの地で戦いを繰り広げてきており、小さな街ではあるがそれらの時代ごとの遺跡や遺物を見ることができる。役者たちは全員明日到着ということでまずは一日街を散策。
 イタリアはまた、わたしのブルック劇団デヴュー地でもある。1976年、ブルック国際劇団の創立メンバーの役者たち、ブルース・マイヤーズ、マリク・バガヨゴ、ミリアム・ゴールドシュミット、アンドレアス・カツラス、ミッシェル・コリソン、そしてわたしをブルック劇団に導いてくれたヨシ・笈田といった俳優たちとヴェニスの街角にカーペットを敷き、モリエールの話しをもとに即興劇を繰り広げ、サンマルコ広場で初めてのドラムソロコンサートを行った思い出深い国だ。また翌年は「ユビュ王」の公演でローマへ。ここではまだ健在だったフェリー二が観劇に来てくれたこともある。フレンツェでの「マハーバーラタ」、ナポリでの「ティエルノ・ボカール」などイタリアでの公演も少なくないが、この国はまたスティーブ・レイシーやデレク・ベイリーのカンパニーでも演奏に来たことがある。
 今回はスポレートの街を世界的に有名にしたドゥエ・モンディ祭でのラストプログラムへの参加である。このフェスティバルはスポレート音楽祭ともいわれ1958年に開幕して以来、今年で53回目。6月18日から7月4日の二週間ちょっとにわたって音楽、演劇、ダンスと広いジャンルのパーフォーマンスが繰り広げられた。「11&12」は最後の三日間、フェスティヴァルのフィナーレを飾ったのだが、劇場は悲惨だった。パーフォーマンスの会場は歴史的な教会や野外劇場だったりとさまざまだが、わたしたちの会場は普段は鳩の住処になっている老朽化した教会。音響はとても良いが奥行きだけがやたらと長く、幅が狭いため、舞台作りが難しい。また客席もパイプ作りでかなり距離感があり遠くから見下ろすような感じのため、役者と観客の距離がちぐはぐになり集中したプレイができない。ここでは最後にピーターと全員が会ってお別れ会をということでもあったが、日中はかなり暑く坂道の多いこの地に三日間だけパリから来るのは控えた方がよいということで結局、ピーターはこれず、マリエレーヌの指揮下で舞台作り、リハが進行。着いた当初、内部はジャリと砂で誇りだらけ、イタリア人気質も手伝って作業はのろく、思い通りの舞台にならず困惑、当日までになんとか仕上がったが、鳩だけはどうにもならずパーフォーマンス中も突然飛び立つや壁の小石がぱらぱらと落ちるは、クゥ−クゥーという鳴き声があちこちから絶えず聞こえるはで、集中することままならず。それでも演劇好きのイタリア人、スタンディング・オーベイションだけは忘れず、何度もアンコールとなった。夜、街にはワールドカップよろしく鳴り物入りで大勢の人が繰り出していたが、わたしは翌日早朝に日本に発つこともあってホテルに戻って長かった公演を振り返っていた。
 2005年に「ティエルノ・ボカール」というタイトルではじまり2010年に「11&12」で終わったこの作品。前作でティエルノ役をやったソティギ・コヤテは今年の初夏に逝去した。ブルックはこの作品を通じてさらなる演劇の簡素化を徹底した。そのため賛否両論、批評家の意見も二分された。齢85になる演出家ピーター・ブルックとアフリカの旅に始まり、グロトフスキの拠点ブロツワフでのリハ、そして韓国やシンガポールといった初めてのアジアでの公演。役者たちをリードし、マルチインストゥルメント奏者として舞台に立ってきた長い道のりがここで一先ず終わる。この作品はブルックの真髄ともいえる「鳥たちの会議」「マハーバーラタ」に次ぐ宗教的作品で、これら三作すべての音楽を担当できたことを幸せに思う。

スポレートの丘陵地に設けられた歴史的水道橋

1976年イタリア・ヴェニスでブルック劇団初参加

スポレートの「11&12」公演劇場入り口