ソウルの日々(3)

ソウルに滞在中、毎日のように人に会っていたおかげで観光らしい観光もできずじまいだったが、五年前にリニューアルされたという国立中央博物館だけはどうしても見ておきたく、時間の合間をみて出かけてきた。考古、歴史、美術などの部門に分かれた展示室は広く、団体客に対応できるような作りになっているが、歴史部門に比べて考古部門は展示物が少なく見劣りがしないでもない。しかし展示物には縄文土器の一部や銅鐸の起源とも言われている小銅鐸など有史以前の日本列島文化と関わりのある遺物の展示があり興味深かった。とりわけ小銅鐸の実物を見るのは初めてで、室内には見学者がほとんどいなかったためじっくりと遺物と対面できたのは幸いだった。韓国から出土しているこれらの小銅鐸には日本の弥生時代の銅鐸に見られる流水文などの文様が見られず、英国博物館で見たラオスカンボジアの青銅文化が生み出した流水文を刻んだ青銅のベルの方により文化的緊密度を感じるのだが、銅鐸の時代は中国南部の越国の民族や朝鮮半島からの民族などが日本列島、とくに西日本各地に渡来したようで、銅鐸はこれら渡来民族と土着の列島民族の文化的融合によって生み出された独自の文化的遺物であろうと私は考えている。また展示された小さな銅鐸をながめながら、パートナーの故・桃山晴衣のことを思い出していた。桃山と生涯を共にするきっかけとなったのは、彼女がプロデュース役を担ってくれた畝傍山での銅鐸演奏である。

畝傍山での銅鐸演奏/立光学舎アーカイブより)

この奇跡的ともいえる古代遺物との出会いから縄文鼓やサヌカイト、そして先史ヨーロッパの壁画洞窟での演奏へと私の古代音楽の旅は続いていった。また桃山は自らのライフワークともいえる『梁塵秘抄』探求の旅で、晩年は新羅系の民族文化が梁塵秘抄とも深く繋がっていることをよく口にし、韓国の古墳にも興味を示していた。彼女が足を踏み入れることなく興味を抱いていた韓国、一緒にこの博物館を訪れることができなかったのが誠に残念である。

ソウル国立中央博物館に展示されている小銅鐸

ソウル国立中央博物館