あわただしい日々と名優ソティギ・コヤテの死

 『11&12』英国公演ツアーは公演地から公演地の間に移動休暇が多く、ノッティンガムから次のニューキャッスル間は急遽歯の治療のためにパリに戻った。ところが、無事に歯の治療は済ませたものの、翌日の飛行機でパリからニューキャッスルへと飛ぶ予定が、とんでもないことになってしまう。全ヨーロッパの飛行機が突然運航中止、アイスランドの火山噴火で飛行路が全面塞がれてしまったというのだ。パリに戻った役者たちは予定通り翌日にはニューキャッスルに着いていなければならないのだが、このパニック状態で鉄道も早くから座席がとれず、思案のあげく朝8時の集合で、劇場事務所の者がレンタカーを借りてフランス北部のカレー市の港からイギリスのドーバー市までフェリーで行き、そこからもよりの駅に走り、ロンドン行きの特急列車に乗り換え、再びロンドンから3時間かけてエジンバラの南にあるニューキャッスルへとなんとか到着。列車はもちろん満員で予約席がとれず、重い旅行カバンを担いでのなんともひどい旅になった。結局駅に着いたのが夜の9時過ぎ。外に出るとこちらは気温1度か2度と未だ冬の寒さ、泣きっ面に蜂状態の一日となった。先の日本経由でグラスゴーに飛んだときも、予約していたブリティッシュ・エアウエイがストライキのために、事務所の者が前夜まで交渉してロンドンからグラスゴーの別便を押さえてくれ、ロンドンの飛行場で5時間待たされたあげく何とか夜の10時頃に着くことができたが、この時も翌日、劇場に着くなりその夜に本番を迎えてのプレイだった。
 それにしても地球の片隅で噴火した一火山の影響でヨーロッパ全域がパニック状態になるという、世界各地で起っている自然災害への人間の無力さと現代文明の脆弱さをまざまざと見せられた思いがする。
 このように慌ただしく揺れ動いていたパリでの数日間に、もう一つ予期せぬ訃報が入った。ピーター・ブルック劇団で長く一緒に仕事をしてきたアフリカ、ブルキナファソの名優ソティギ・コヤテが長い闘病生活の果てに昇天したのだ。ソティギはブルックの『マハーバーラタ』で私たちの劇団に初めて参加して以来、『テンペスト』『ハムレット(フランス語版)』『マン・フー』『ティエルノ・ボカール』などで重要な役を演じて来たブルック劇団にとって欠かせない役者で在った。かれこれ二十数年近く、共に仕事をしてきた私には彼との多くの思い出が残っているが、『テンペスト』の日本公演の際には、池袋の西部スタジオ200で、『テンペスト』に出演していたマリのバカリ・サンガレと二人の音楽家、パートナーの桃山晴衣とイランのケマンチェ奏者、マモード・タブリジ・ザデーと四人で、スペシャル・コンサートを持ったことも忘れがたい記憶の一ページとしてある。桃山は昨年亡くなり、マモードは四十代の若さで十数年前に亡くなっている。とりわけ桃山とマモードのコンサートはYOU TUBEでも配信されているので(Japanese&Iranian strings Improvisation/ Harue Momoyama (shamisen) Mahmoud Tabrizi-Zadeh(kamanche))  検索してお聴きください。ソティギはまた桃山をムニュシュキンの太陽劇団で一ヶ月間にわたるワークショップを薦めてくれたり、『ティエルノ・ボカール』製作の際にはブルキナファソやマリで多くの音楽家を紹介してくれたりと私たち二人に特別な親しみをもって接してくれてもいた。いま『11&12』で同行しているアブドゥーはソティギの娘と結婚しており、複雑な気持ちで公演を続けている。五年前の『ティエルノ・ボカール』公演の際にも呼吸困難で入院し公演は代役で行ったが、以来この状態がかんばしくなく長く続いていた。しかし、昨年は病身にもかかわらず『ロンドン・リバー』という映画の主役を務め、ベルリン・インターナショナル・フィルム・フェスティバルで最優秀男優賞を受賞している。『11&12』パリ公演の際には病院から家での療養に戻ったという彼を尋ね、思い出ばなしにふけったが、あれから二ヶ月も発たないうちに逝かれてしまった。彼についてはまたどこかで語ろう。ご冥福をお祈りします。

  
 『テンペスト』でのソティギ(右)とバカリ(左) 

 スタジオ200で桃山、バカリ、ソティギ、土取