「日韓パーカッションアンサンブル」土取利行&ノルムマチ・郡上独占公演

 5月6日連休の最終日、快晴。春の太神楽が終わり、郡上踊りの始まる中間期、おそらく郡上八幡では初めてとなる本格的な韓国の音楽家を招聘しての公演が開催された。題して「日韓パーカッションアンサンブル・土取利行&ノルムマチ」。先のブログで紹介した韓国の打楽器集団ノルムマチと私のコラボレーションによる演奏会である。ノルムマチはチャング、プク、チン、ケンガリという打楽器(四物)にピリとホジョク(リード楽器)を加えた五人のメンバーで、世界公演を繰り広げている韓国で最も忙しいといわれているグループだ。

<土取利行&ノルムマチ郡上公演>
彼らとのそもそもの出会いは、2010年6月にLGアートセンターでピーター・ブルックの「11&12」を上演するためソウルを訪れたことに始まる。私にとっては本当に近くて遠い国だった韓国だったが、知人からソウルに行ったら是非会うようにと薦められていたのがノルムマチだった。ところが私が「11&12」の公演中、連中は相変わらず演奏旅行で留守、会えたのはソウル滞在を一週間ほど延ばした最後の日近くだった。その日も彼らはどこかで公演があり、ソウルに戻って来たのは真夜中に近い時刻、ここでキム・ジュホンやメンバーと会って、少し一緒に演奏もし、機会があれば日本でいつか演奏しようと約束をして別れ、今日にいたったのだが、幸いキム・ジュホンは毎年名古屋にワークショップで訪れており、昨年はその帰りに立光学舎に立ち寄ってくれ、その前年は私が名古屋に彼を訪ねていた。

<ノルムマチ立光学舎到着>
 コンサートの計画が具体的に持ち上がってきたのはこうした交流が続く中、立光学舎のスタッフでイヴェント制作者を目指す井上が、郡上で私とノルムマチのコンサートを企画・製作したいと意欲的になってきたことにある。一言で制作と云ってもその仕事は雑多複雑であり、郡上のようなところでは人間関係、人付き合いがなんにおいても欠かせなくなってくる。彼は郡上の新参者として同世代の新たに此の地域に住んで暮らす者との交流を始めとして一年と数ヶ月を通して地域古参の人達とも交流の網を徐々に張り巡らせていき、とりわけ収容人数500席という会館をほぼ満員にするという努力結果をものにした。八幡町の郡上文化センターでの私の公演は初めてだが、かつて1988年立光学舎設立の際に。郡上八幡フェス「インドが舞って郡上が踊る」といタイトルで、インドからタゴールをテーマにした会を持ち、国宝級舞踊家「ムリナリニ・サラバイ率いるダルパナ舞踊団」とタゴール・ソングの名手シャルミラ・ロイを招聘し、その後の日本の、また郡上での私達の文化活動をタゴールの文化活動を指標に模索したいと願っていた。このフェスを機に桃山晴衣と私はその後十年間近く、タゴールベンガル地方を中心にインド文化を世界に発信したようにここ郡上に残る芸能や伝承文化を中心に、地元の高雄歌舞伎の役者達と創作劇の上演やシンポジウムを展開し、地域の活動を通して今の日本や世界の文化の認識を深めていった。私達が活動を共にし、学んでもきた古老の大半は他界され、桃山晴衣までもが夭折してしまった今、井上達、新参者がここ郡上で寄り集まり、イヴェント制作を通して何を志し、実現してゆくかは未知であり、見守ってゆきたいと思っている。
 ノルムマチとの公演はまだ今でも熱気がさめやらず、郡上のあちこちで感動の声が聞かれるという。この演奏について説明するは愚、発信したYOUTUBEその感動の余韻の僅かでも感じ取っていただければ幸いである。


<土取利行&ノルムマチ郡上公演>