茅屋根解体奮闘記 1

故・桃山晴衣と私の活動拠点として1987年に建てた立光学舎は、郡上でもおそらくは一軒しかない茅屋根のシンボリックな建物だった。建立当時は、昔かろうじて自ら茅を葺いたことがあるという古老たちが地区に残っていて白川村の合掌作りの葺き方を真似て完成をみたものの、これが何とも五年も経たないうちに駄目になった。そこで本格的な茅葺き職人に会津から来てもらい本格的な取り替え作業をした。先のブログでも紹介した職人気質の強いほれぼれとする茅葺き衆だった。その美しいまでの職人技によって完成した屋根も、二十年近くが過ぎ老朽化し、とりわけ陽があまりあたらない北側から腐食が始まり、ここ数年は雨漏りと格闘してきた。そして迷える気持ちを押さえ、遂に茅屋根をガルバリウムのモダンな屋根に替えることにした。
 ということで経費節約もあって元の茅屋根を降ろす作業を自分たちでやるというとてつもない重荷を背負うことになった。そしてこの大変な作業を二日間で、しかもわずか四人足らずの素人仲間でやり遂げることができたのには我ながら驚き、感心している。その中心となって動いてくれたのが十数年前に立光学舎にしばらく滞在し今では神楽太鼓を中心に音楽活動を続けている石坂亥士。彼は音楽活動を続けるかたわら八年間、瓦葺きの職人として働いていた経験もあり、屋根の天辺に登っての危険な作業を見事にこなしてくれたし、その段取りや道具の扱いはさすがである。もう一人はアフリカのセネガルから帰国してまもない菊島氏。彼も家作りは経験があり、手際のよい作業で労を惜しみなく発揮してくれた。この二人と老体に鞭打って屋根に登った私が中心となって、ワークショップ参加者の助っ人数名が食事の世話や茅の運びを進行してくれ何とか二日間の「大事業!」をこなせた。集まってくれた人たちに感謝してます。


一気に落下した茅屋根