NARASIAそしてキム・メジャ

 平城遷都2010年NRASIAグランドフォーラム。奈良県が一年に渡って繰り広げてきた1300年前の平城遷都を祝す大祭のフィナーレを飾るこのフォーラムに12月の18日、19日の両日にわたって出演してきた。このフォーラムの仕掛人は長いお付き合いになる編集工学研究所の主宰者、松岡正剛さん。昨年、ピーター・ブルックの「11&12」で世界ツアーをしていた時に、アジアの人と何かパーフォーマンスを、という依頼があり、韓国公演の際にお会いした舞踊家のキム・メジャさんに白羽の矢をたて、この矢がフィナーレの最後の的を射ることになった。
このフォーラムは話しばかりの通常の会では終わらせないセイゴウ流仕掛けが随所にみられるもので、舞台に独自の編集法が発揮され、様々なジャンルの方々の出演がみられた。私は一日目と二日目の、舞台をまかされ、とりわけ二日目はキム・メジャさんとの日韓コラボレーション・プログラムでもあり気合いを入れざるを得なかった。というのも、これまで日本の舞踏家と共演した際には、ほとんど即興演奏を中心に行ってきたが、今回は一筋縄ではいかなかった。新作とはいえ日本と韓国ではリハの時間もとれず、即興で臨むしかないと思っていたが、キムさんの方から一度お会いして自分の振り付けを見て欲しいという申し出があり、韓国から京都に見えた彼女を楽器を持参して訪ねた。ここで踊りを実際に見せてもらい、私の呉鼓の演奏への興味からか、伎楽を日本に伝播した百済味摩之の旅を構想して舞いたいということになった。あらかじめ振り付けが決まっており、これを型通りのもの以上にするにはかなり練り込む必要がある。まずはキムさんの踊りをVTRに収め、これを見ながら味摩之の旅を念頭に作曲に入り、キムさんに音楽を送ったが、メロディアスすぎるとのことで全面パーカッシブなものに変え、本番ギリギリでこのベーシックな音源作りを終えた。これをもとに私たちだけは本番二日前に奈良に出かけそこで初めて即興で演奏する楽器との調整をし、本番に臨んだ。この間、キムさんからは何度か音楽についても色々感想をいただき、良い方向に修正することができた。ともあれキムさんの舞台にかける意気込みたるや尋常ではなく、その意志が本番にも貫かれ、私としても真剣を抜かざるを得なかった。結果は、多くの人の感嘆となった。松岡正剛さんもご自身のweb千夜千冊の中でこのコラボについて特別に書かれているのでご一読を。
 この間、一日目のコラボを共にした能楽師の安田登さん、トルコのイスタンブール、トプカピ宮殿でのコラボを共にした尺八奏者の中村明一さん、そして10年くらい前に沖縄でTV撮影の際にお会いした衣装デザイナーの和田エミさんなど、こうしたアーティストの面々と再会できたことも嬉しかった。さらに驚いたことに、初めてお会いした、いとうせいこうさんからは、彼が十代の頃、私が「マハーバーラタ」の音楽製作のためにアジア各地を巡り歩き、その途、日本に立ち寄り法政大学で開催したソロコンサートを聞きに来て、非常に閉塞状態になっていたのを音楽によって救われたという話しを聞かされた。あの頃、私はヴォイスだけのレコードも製作していて、音楽は楽器以前に身体と声にありという意志を強くし、とりわけアフリカやアジアを旅しながら踊りや武術や歌を吸収していた時期だった。
音楽評論家の竹田賢一氏がいみじくもわたしの音楽をオーガニックダンスパーカッションと命名してくれたが、音楽の身体性、声性、霊性に関しては今に至るまで追求を続けている。
 松岡正剛さんとの奈良は、数年前、彼の率いる未詳倶楽部でゲストとして呼ばれた忘れがたい会もある。この時は、春日大社世阿弥薪能を初めて舞ったという神聖な舞台を前宮司さんの中東さんが開放してくれ、ここで呉鼓を演奏するという幸運を得た。そして元興寺では画家の須田克太氏のイエイツなどの詩を大胆な筆で描いた数々の屏風を背景に、イエイツに推薦されアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの歌を弦楽器エスラジで演奏するという幸いにも恵まれた。ちなみにこの時の春日大社世阿弥の舞台で行った呉鼓演奏のVTRをキムさんに見せたことが、彼女を味摩之への思いへと向かわせた一要因になっていることは間違いない。NARASIAで初演となったキム・メジャさんとの作品は早速、来年夏に韓国で上演したいとの連絡があった。味摩之が呉鼓とともに伎楽を日本に持ってきたのは推古朝612年、ずっと正倉院に眠り続けていたこの呉鼓が今回奈良で新たに蘇り、さらに来年故郷の韓国で演奏されることになるとは、味摩之もユメユメ思い及ばなかったことだろう。


キム・メジャさんとのコラボ「光・味摩之