友来たり、精霊来たる郡上踊りの夏

8月13日から16日までの四日間、盂蘭盆会を迎えた郡上八幡は寝ずの街と化し、郡上徹夜踊りが行われる。夜8時から朝の4時までお囃子衆を乗せた屋台車が四つ辻の真ん中に据え置かれ、それを取り囲んだ踊りの列が四方の街路へと延び、歩行もままならぬほどの人で溢れかえる。今年は郡上に滞在していて、お盆の来客とともに久しぶりの徹夜踊りに出かけた。

<今年の徹夜踊り>           <郡上で流す岡大介
 桃山が郡上八幡を紹介したいと、私をこの街に連れてきたのは1985年か86年頃、「マハーバーラタ」公演の合間をみて帰国した折だったと思う。まだ岐阜からの高速道路もなく、今のような高速バスもなかった時分で、各駅停車のバスに乗り長良川沿いをゆっくりと山路へと向かったのがなつかしい。
 飛騨と美濃の中間地にある城下町郡上八幡は、長良川、吉田川、小駄良川の合流地点に位置する、まさに水の都。軒を並べる家々の前には用水路が備えられ、そこかしこから聞こえて来る水音が心地よい。私は香川県多度津の瀬戸内海で生まれ、少年時代の多くを海で過ごしたが、父の故郷である徳島との県境の山里にお盆の時にでこぼこ道をバスに揺られて行くのが好きで、想い出としてはそれら山里の渓流や山々の方が強く残っている。郡上八幡に着いて水音を聴き、山の緑を見たとき、子供の時の四国の風景が重なり、なつかしさのようなものがこみあげてきた。街は盆踊りの真っ盛りで、その夜始めて桃山に連れられて郡上踊りの列に加わった。彼女はすでに日本各地に芸能を訪ね歩き、木曽と郡上には何度も足を運んで地元の人達と交流を重ねており、とりわけ郡上の文化人たちとの交流は深かった。桃山からこの文化人たちに紹介され、地元の芸能や文化にほこりを持った彼らを、誇らしくさえ感じた。私はこの山と川に囲まれたこの街、そしてその自然とともに文化や芸能を支え伝える人達に強く惹かれ、さらに郡上踊りの熱気にも心奪われ、この日以来、ここが理想郷になった。そして87年には桃山との活動拠点、立光学舎の建築に着手することになったが、郡上での活動はいずれ「桃山晴衣の音の足跡」でも触れることにする。

<1986年の徹夜踊り、久しぶりに朝5時まで復活した:郷土文化誌郡上より>
夜が消えかけると  踊りは  陶酔を求めていやが上にも高まる
東殿山が白み始め  音頭がひと際哀愁を帯びるとき
それを支えて  下駄の音は一つに揃う
見知りの顔が  あちらこちらに浮かび 
交わす微笑を川風が揺らすのもこの時 
それを合図に   鳩が飛び立つ
さわやかに

郡上文学者/高田英太郎

・・・・・・・・・・・・・・・
 今年は徹夜踊りの期間に、ダンサーや音楽家、美術家などが訪ねてきたので一緒に久しぶりの郡上踊りに馳せ参じることになった。また15日の徹夜踊りは、この五月に立光学舎で演奏会を持った明治大正演歌をうたう岡大介くんがカンカラ三線をかかえて再び郡上で流したいとやってきたので、踊り前に街の知り合いの家の前などで流し、祭りに一色添えた。岡君の流しは好評で、来年は盆踊りが始まる前に本格的に路上演歌の会をもとうということになった。彼の唄が終わり、宮ケ瀬橋に着くと彼方の屋台から郡上節の声と三味と笛、太鼓の音が聞こえ、すでに通りという通りは人人人で溢れていた。さっそく踊りの輪に突入するも、何年も踊ってないので動きを忘れかけたものもあったが、一人でひたすら美しい動きで踊る女性が前にいたため、その人の動きにシンクロしながら心地よく踊ることができた。郡上踊りは全国でも稀な誰でもが参加でき、踊れる素晴らしい伝統の盆踊りである。最近はよさこい何とか踊りのような、グループで即席の見せ物踊りのようなものばかりが目立ち、阿波踊りさえも観客席を設けて連のコンテストのような見せ物になってしまっている中、古来からの唄と踊りで朝まで参加者全員で踊り明かせる郡上踊りは、やはり素晴らしい。この期間、隣町の白鳥町でも徹夜踊りがあり、こちらもテンポの速い踊りで誘惑されるが、今年は郡上八幡だけで踊ることにした。