ゴマ(NGOMA)

 写真はウルヴィントーレの一員エマーブルが持参し、演奏したルワンダの太鼓ゴマ(ngoma)。ルワンダの王国時代、宮中に使える楽士たちが、王(mwami)を讃えるために演奏していたシンボリックな楽器である。

 ルワンダ王国がいつ頃から始まったかは、文字による記録がないために定かではない。もともとピグミー系のトゥワとよばれる少数の狩猟採集民を除いて、ほとんどが農耕民で占められていた地に、13世紀から15世紀頃に長い角の牛を携えた集団がやってきたとの言い伝えがあることから、この頃に端を発するのかもしれない。この集団によって築き上げられた王国では、王とそれに属する支配階級をツチ、それ以外の農民はフツとよばれていた。「王の地位は絶対で、家畜・土地・軍事の三つのチーフを通じて統治される極めて中央集権的な王国で、チーフをツチが務めるのを慣習としてきた。とはいえ、裕福なフツの農民が政治力を持ちツチになったり、貧乏なツチがフツの農民と結ばれたりと、その境界は絶対的ではなかった。「ウブハケ」と呼ばれる大農と小作人のような主従制度が社会全体に浸透していて、一般の人々は同じ土地に住み、相互利益の関係を築いて共生し」、「建築、芸能、工芸など、現代のルワンダ文化の基礎となる固有の文化は、この時代に形成されたといわれている。」このような職業階級としてのツチとフツの区分けが、民族の区分けに変容していったのは、19世紀末にドイツ領とされ、20世紀前半からはベルギーの植民地へと移行していった西洋人たちの支配下に置かれてからのことであるらしい。とりわけ王政を支持したベルギー政府が民族の違いを強調した政策としてとった「ツチ族優越神話」が国民の80パーセント以上を占める多数派のフツの反ツチ感情を激化させ、さらに1933年から34年に人種IDカードの導入したことでフツとツチの対立は決定的となった。ところが1950年代まではツチ支持を続けてきたベルギーは、ツチの植民地解放の機運が高まるや多数派のフツ支持に変わっていく。動乱の中、1956年10月の総選挙では、首長以上の上級職をツチが占め、国王の権威増大を 図ったため、ツチとフツの対立はさらに激化。独立を控えた1959年には、ベルギーの支援下でフツの反乱が起き、約15万人のツチが国外へ避難した。このようにベルギーの政治的思惑によって民族レベルの紛争が絶えず仕掛けられていたのである。 1961年、フツはツチの王政廃止を実行し、フツ政権を発足させるとともにツチへの弾圧と迫害をエスカレートさせていった。そして1962年7月にルワンダがベルギーから独立すると、ツチへの残虐な迫害が始まった。1963年には、ブルンジに避難していたツチがルワンダ侵入を企て、約1万人のツチが虐殺された。フツの政権は1994年まで続くが、残虐な迫害を受けていたツチは1987年にウガンダルワンダ愛国戦線(RPF)を結成し、1990年10月にルワンダ北部に侵入。フツ政権との内戦が勃発した。1993年8月4日、アルーシャ協定によりルワンダ内戦は一旦停戦するが、1994年4月6日のハビャリマナ大統領搭乗機撃墜(暗殺)を機に、フツによるツチとフツ穏健派への大虐殺、ジェノサイドが決行された。 1994年7月、ルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を完全制圧してツチ新政権を樹立すると、今度はフツが隣接国へ逃亡(200万人難民化)。1996年11月からフツ難民が帰還し、ルワンダはカガメ大統領によって統治されて現代にいたる。
  長々とルワンダのジェノサイドにいたる背景を書いたが、ゴマはこうした長い歴史の中で王のための楽器から民衆の楽器へと変遷していったのである。

70年代、パリで買ったレコードの一つに「UNESCO COLLECTION - AN ANTHOLOGY OF AFRICAN MUSIC / MUSIC FROM RWANDA」という一枚がある。このレコードは1954年から1955年に録音されたルワンダの音楽選集で、ゴマの演奏が2曲収められている。録音期間は、ツチに植民地解放の意識が高揚していく時期で、ベルギーがフツ支援へとシフトにむかわざるを得なくなっていく時期でもあった。1959年にはフツが国を統治するようになり、王政はここで完全に終わりを告げるため、この録音はずっと続いてきた伝統的な楽士たちによる最後のゴマ演奏記録になるかもしれない。わたしは何度もこのレコードを聴いてはいたが、今回改めてゴマの背後にある歴史を知って聴くと感慨深いものがある。横浜BANK ARTでウルヴィントーレと共演し、アンコールの場面でエマーブルが私をゴマの前に連れ出し、この太鼓はあなたへの贈り物だといわれた。遠くルワンダから日本の地にやってきた太鼓ゴマは、いま我が家で静かに歴史を語っている。あの王国時代の宮中楽士だった人たちの中で、伝統音楽を守り抜いてきた人たちがわずかではあるが、今でも生き残っているいると、ドルシーから聴かされた。ゴマの奏者は一人か二人になってしまったが、是非会わせたいとも。彼らがなくならない間にこの霊的な太鼓にまつわる話を聴いておきたいものだと思っている。