立光学舎ワークショップ


 

立光学舎ワークショップ

五月の郡上は、野も山も燃え立つような新緑に包まれ自然の生命力が満ち溢れている。薮から聴こえる鶯の声、畑を移動していく雉の声、清流吉田川を飛び跳ねる若魚たち。生きとし生けるものが躍動するこの季節に、私たちは拠点である立光学舎の設立以来、重要な活動の一つとしてワークショップを開催してきた。私たちとは、いうまでもなく私と桃山晴衣である。桃山は私と出会う以前、七十年代からここを何らかの「交流の場」にしたいと考えていた。当時、彼女は自分の音楽と向き合うために、全国各地に芸能を訪ね歩いていた時期で、とりわけ郡上八幡にはよく訪れ、郡上踊りや市島歌舞伎をはじめとする芸能への興味はもとより、街の文化人との交流も広く、とてもこの地域に惹かれていた。しかし、その後『婉という女』や『梁塵秘抄』を発表する中で、全国行脚のコンサート活動に時間をさかれていたこともあり、「交流の場」は手つかずのままだった。狐狸の住むような原野を整備し立光学舎が建立されたのは一九八七年、同じく「交流の場」を持ちたいと考えていた私は、その数年前に桃山に郡上八幡を案内され、山紫水明の地と人々の生活文化の深さに触れ、ここが二人の音楽活動の拠点にふさわしいと確認しあった。そして八八年、P・ブルックの『マハーバーラタ』日本公演が決定したとき、ブルックはじめ音楽家や役者たちに日本文化を紹介したい、彼らと交流したいという二人の思いが、一気に立光学舎建立へと向かわせた。時間はなかった。私の公演中、桃山は東京と郡上を何度も行き来し、村の人たちとの交渉、土地や住居の問題に着手し、立光学舎を完成させた。学舎開設後まもなく、ブルックと音楽家たちが祝福に駆けつけてくれ、同年夏には八幡町や立光(りゅうこう)地区の人々などの参画を得て、私たちが東京で企画したタゴール展で来日したインドの音楽家やダンサーたちを学舎に招聘し、タゴール・フェスティバルを開催。二人が夢見てきた「交流の場」がここにスタートをきったのである。
 こうした流れの中でワークショップも同時期にスタートし、以後二十年間にわたって様々なプログラムを組みながら継続してきた。このワークショップについては、私たちの機関誌『立光学舍通信』第13号(1995年発刊)にこう書いている。
 「茅屋根も新鮮な、開設したばかりの立光学舍で第一回目のワークショップを開催したのは88年11月の連休日、参加者はダンサー、医者、建築家、役者、ジャーナリスト、脱サラ、学生、等々、様々な職業の人たちでした。交流の中から「トータルな生き方」を模索し、自発性や創造力も体得できるようにと意図したこのワークショップでは、生活の基本である食事にも注意を払いました。期間中は五穀中心の菜食で、炊事も各自が自主的に炊飯から後片付けまで行えるように進行、そのために桃山は買い出しや食器の準備、台所の整理にと孤軍奮闘。ところがいざ始まってみるとへっぴり腰で薪を割る者、何度やってもクドに火をつけられない者、よほど自炊生活とは無縁な人が多いとみえ、統制をとるのに一苦労。カリキュラムは、朝から昼までは土取による身体開発の様々なエキササイズや、お互いの即興性、自発性をいかしたワーク。昼食後はしばし休憩をとって桃山の日本音楽講座。といっても堅苦しい専門的なものではなく、ごく身近なところにある音楽のすばらしさを唄の指導も含めて説くもの。夕方は再び土取の激しいドラミングで各自の体を極限までつかってのポリフォニックムーヴメントの開発。そして夜は自由時間となりますが、誰一人として囲炉裏の周りから離れず、揺らぐ炎を眺めながらの語らいが続いていく。こうして三日間のプログラムが終わる頃には、一人一人の心身に変化の兆しが見え、いつの間にか不思議な交流の輪が広がっているのでした」。
 このワークショップの開催で、私たちは今後も持続しなければという思いを強くし、毎年春と秋に時間をさいて行なってきたが、何もかも二人でやるにはさすがに荷が重すぎ一時中断したこともあった。しかし、参加者の中にはワークショップを機に自分自身を積極的に変革しようと努力した人も少なくなく、自分自身の道を着実に歩みだした人もいる。こうした参加者の変化や感謝の声を励みとし、私たちはこのワークショップがさらなる豊かな人間の創造的生活につながるよう努めてきた。
 昨年暮れの桃山の他界によって、私はワークショップを続けるべきか否か迷った。が、多くの方の励ましもあり、私たちが築き上げて来た「交流の場」と「交流の時」をなんとか続けなければと、今夏の開催に踏み切った。「桃山晴衣の追悼」も込めたワークショップでは彼女の教え子たちが積極的に動くようになり、希望の光も見えてきた。この夏からは私の海外公演が予定されているため、一年程このワークショップは休止せざるをえないが、すぐにまたこの「交流の場」で新たな展開をしたいと思っている。