韓国の舞踊雑誌に発表された美星町「中世夢が原」での公演『光』

 月日は前後しますが、今夏8月6日に開催され、反響をよんだ岡山県美星町「中世夢が原」開園20周年記念公演、「光」の掲載記事が、先日韓国から送られてきたので発表しておきます。
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<キム・メジャ> 

<土取利行>

「素朴なロマンと分かち合う温もりが感じられる祝祭」

 岡山県美星町にある中世夢が原歴史公園は、市内から車で1時間半ほど。そこへの道は韓国の江原道と非常によく似ている風景であった。くねった山道を上り、「夢が原」に到着してみると、素朴な中世日本の生活像を浮かび上がらせる建築物がまばらに配置されていた。ところで一体、このような山奥まで観客がくるのだろうか?見たところ交通手段も充分でないようなのに…。始まる前から不安がよぎった。
 今回の公演は「中世夢が原」開園20周年を迎えるにあたり特別に企画されたもので、昨年12月、奈良での平城遷都1300年記念祭NARASIAの公演において、初めて共同作業を行った世界的なパーカッショニスト土取利行と金梅子(キム・メジャ)による作品<光>を、去る6月、創舞国際舞踊祭開幕公演にて創舞会代表舞踊手キムソンミ、チェチヨン、キムミソンらの参加する群舞に再編したものである。

<チャンム舞踊団と土取/韓国高陽市で>
公演の舞台は一般的な会場ではなく、中世民俗村のような「夢が原」の野外に広がる芝生の上である。ここでは特別な舞台装置を用いず、自然そのままの状態で公演することが金梅子の提案であった。去る3月、事前に公演場所の下見に岡山を訪問していた彼女は、既存の公演場所として使用していた空間の変わりに、自身の作品に合う空間を探し、その空間で公演したいと申し出たのである。

<中世夢が原の舞台となる芝地でリハーサルをするキム・メジャ>
スタッフ及びボランティアスタッフたちは、テントを張って出演者たちの控え室を準備するのみならず、裸足の舞踊手たちが通過する導線には布を敷き、蚊や虫を遠ざける薬を準備するなど、万が一の危険性を最小限に抑える細かやで温かい誠意を見せてくれた。
日高園長を先頭に、東京・大阪などからわざわざ駆けつけたボランティアスタッフたちと地域住民たちの協力によって公演は準備されたのである。日高氏も農夫のような麦藁帽子と作業姿で、直接、荷物を降ろし、舞台作業を進行し、汗を流していた。皆が家族のように、自分のことのように準備していく姿は情にあふれていた。
心配をよそに、夕暮れになると観客たちがひとり、ふたりと客席を埋め始めた。特に客席があるというのではなく、舞台として設定された場所に向かって座る、まさに自由な席である。
公演は安田登氏による「能」の祝歌で始まった。続く神楽公演は日本固有の信仰である神道に見ることができる舞楽(舞・演奏・謡etc)演戯で、わが国の「クッ(神に願い祈る儀式)」に似た形式であった。今回はその一部が行われ、わが国のパンソリのように、演者一人と、奏者が一人という形式で、2人だけが横にある別の舞台で演じた。1部のプログラムを終え、休憩時間を挟んだ後、本日のメインプログラムであるチャンム舞踊団と土取利行による【光】が始まった。
パーカッショニスト土取利行によるライブ音楽、山に響くその演奏は自然との共鳴でさらに観るものを感動的にした。世界的な韓服デザイナー、イヨンヒによる3人の舞踊手たちの衣装も、自然と調和し、舞踊団の踊りにさらなる光をあてた。特にこれらの衣装は、日本に多くの影響を与えた百済時代の服飾を考証しデザインされたものであるため、日本の観客らにも意味深く映ったのではないだろうか。
芝生の丘で、しかも裸足の公演であったため、心配も多かったが、舞踊手たちは凝縮されたエネルギーで、最高のテクニックを見せ、星明りと月明かりに照らされた舞台は幻想の中に全てを包み込んだ。巨匠による舞と音楽が出会って生み出された調和したエネルギーは、敬虔なものにさえ感じられ、息を殺して舞台に集中した観客たちは、公演が終わると深い気息とともに各々立ち上がり惜しみない拍手を贈った。
続く【カンガンスルレ】は創舞会が準備したプレゼントである。遠くから公演を観に来た観客たちに金梅子は心を伝えるイベントとして【カンガンスルレ】を準備したのであるが、簡単な由来説明とともに、観客たちを誘い、ともに手をつなぎくるくる回りながら【カンガンスルレ】が踊られた。
公演後は、そばにある神楽研修館にて、スタッフたちが準備した素朴で心のこもった料理による打ち上げが行われた。千円だけ出せば、観客たちも共に参加できたので何人かの観客たちも公演の余韻を共に味わうため打ち上げの席を共にした。素朴なロマンと、分かち合う温もりをもつ人々と共に行った舞台は、出演者・観覧者・関係者を問わず、深い感動の余韻に浸らせるものであった。
(翻訳:高年世)