ピーター・ブルックとのパリ


<パリのワークショップ撮影で土取利行とピーター・ブルック
 四月の二十日過ぎから二週間程パリに滞在し、ピーター・ブルックの長男であるサイモン・ブルックによるドキュメント番組「Tight Rope」撮影に参加してきた。これはフランス国営放送ARTEを始め、ヨーロッパのいくつかの放送局が共同制作するピーター・ブルックのワークショップを記録するもので、監督を務めるサイモンは、かつて「Brook by Brook」という父ブルックのドキュメント番組を手掛け、ARTEから私が音楽を担当しているブルックの「ハムレットの悲劇」と二本立ての内容でDVDをリリースしている。

ピーター・ブルックハムレットの悲劇完全英語版>
 今回のタイトル「Tight Rope タイト・ロープ」というのは、サーカスの綱渡りに用いるロープのことで、会場ではこの架空のロープを想定して参加した役者と演劇に関する様々な試行が展開された。御年87歳になるピーター・ブルックは、先月日本で公演されたオペラ「魔笛」、その前作で最後の国際劇団によるイスラームの賢者ティエルノ・ボカールを主題にした「11&12」(音楽を土取が担当)と精力的に演種t活動を続けてきているが、今回のワークショップではこれまでの多くの作品に反映されてきたブルック演劇の要ともいえる<濃密なる簡素化>についての説明が、役者の演技や所作を通して具体的に行われた。参加した役者は、残念ながら国際劇団古参メンバーは日本人のヨシ・笈田だけで、他にはイタリア人のマルチェロ・マグニ、バスク人のセザール・サラチュ、アラブ系イスラエル人のカリファ・ナトール、イギリス人女優のヘイリー・カーミッシェル、フランス人のミシャ・レコット、イギリス人女優のリディア・ウイルソンアメリカ人女優のエミリー・ウイルソン、オランダ人のジョス・フーベン、そして「魔笛」で役者として出演していたマリのアブドゥー・オウログムとインド人ダンサーのシャンタラ・シバリンガッパ、ルコック演劇学校からの六人の国籍の異なる生徒。音楽家は私と、ブルックの「魔笛」をピアノ一台のオペラに編曲したピアニストのフランク・クラウジックが参加した。これまでなら会場はブルックの拠点であったブッフ・デュ・ノール劇場で行われたであろうが、この劇場はすでにブルックから他の経営者に継がれて様々な公演が行われているために使用できず、パリ北部のシテ科学産業博物館に隣接する小さな劇場が撮影場に使われた。会場にはいつものカーペットが敷かれ、いくつかの座布団と椅子が並んでいるだけで舞台道具はないもない。役者達はカーペットの周りに座り、カーペット中央に架空の見えないTight Ropeが想定される。その一本のロープの上を渡りながら様々なインプロビゼーションがおこなわれていくのだが、これは役者にとっては最高に限られた狭い舞台となる。サーカスの綱渡りでは実際に長い訓練を積みながら高い所で緊張感を持った芸を披露する訳だが、ここでの役者は、架空のロープの上を渡るために、豊かなイマジネーションが個々の役者に必要とされる。このイマジネーションと身体の動きが一体化しないと、ただカーペットの上をあるくだけになってしまう。そして個々の役者が一人で、また数人でこの架空の綱の上を歩いていく時、やがてイマジネーションがさらなるイマジネーションを引き出し、ストーリーを生み出していく。演技の原点ともいえるものが、ここからみえてくる。音楽もまたこれらの場面ごとに要求され入っていく。フランクはあらかじめ作曲されたクラシックを、私は完全に即興でこれに対応する。数日間、この架空のロープの上で何が行われたかは九月頃に放映されるというサイモン・ブルックの「Tight Rope」にて紹介されるのを待っていただくとして、ここでは同時に撮影される事になった私とシャンタラの舞楽のことも記しておこう。


<シャンタラ・シヴァリンガッパのクチプディ>
  シャンタラ・シバリンガッパは南インドマドラスで生まれ幼少の頃からパリで育てられ、南インド古典舞踊家の母サヴィトゥリ・ナイアーから踊りと音楽の指導を受け、やがて南インドの古典舞踊クチプディに専念する様になる。このクチプディで十代の頃から印欧の観客を魅了すると同時に、13歳の頃からモーリス・ベジャールピーター・ブルックピナ・バウシュという20世紀の西欧舞踊界、演劇界の巨匠達とのコラボレーションを続け、芸力の深さを示している。私がシャンタラと出会ったのは、彼女がまだ十代の頃でブルックの「テンペスト」でミランダ役に抜擢された時、そしてその後「ハムレットの悲劇」でオフェリア役で舞台に立ち、再会。その後はピナ・バウシュの作品に頻繁に出演する様になり「オー・ディド」「ネフェス」「バンブー・ブルー」「春の祭典」などに参加しているのを観ているが、昨年、ブルック劇団の「11&12」公演でシンガポールを訪れた際、別のフェスティバルで来ていたシャンタラと同じホテルで遭遇し、この時彼女の古典舞踊とピナの振付けたソロダンスを拝見し、またまた踊りが進化しているのをみた。今回のワークショップでは、私のエスラジとアフリカのドラム演奏に即興で彼女が踊り、唄った。私は桃山晴衣の三味線曲「ニルバーナ」を即興で演奏したが、この曲にインドの踊りは非常に融け込み、近いうちに二人で舞楽作品として日本でも発表したいと思っている。
 撮影の最終日は役者は去り、音楽家は私一人となってピーター・ブルックと百人程の若い俳優たちを招いてのレクチャー・ワークショップとなったが、こちらも非常に充実した会になった。ピーターは側に杖を置いての毎日だったが、演劇への情熱は全く失われていなかった。これからも元気でいて欲しいと切に願う。