ソウルの日々(1)

韓国ソウル、LGアートセンターでの「11&12」公演は、6月17日から20日の四日間、盛況裡に終わった。ロンドンのバービカン劇場と同じく千人以上の客席を有する劇場だったが、空席はほとんど見られず良い観客に恵まれ、うち一日は終演後、トークショーで観客たちと話す機会も持てた。友人のドゥイの話しによれば、日本と同様、今ではグロトフスキやピーター・ブルックを知っている若者は少なく、革新的な演劇を行う土壌はまだ韓国には育ってないということだが、今回の公演で感じた若者たちの熱気がその萌芽の契機となればと願っている。
ソウルでは実に色々な人たちと連日会い、ほとんど市内観光も出来ずじまいの状態になってしまった。公演中は映画や舞台で人気のある俳優の曹在顕(チョイ・ジェ・ヒョン)や新進気鋭の舞台演出家、梁正雄(ヤン・ジュン・ウング)が来観してくれ終演後話を交わしたほか、公演が終わって役者たちが全員帰路に着いた後も一人一週間ほどソウルに残ってからは翌日すぐに、プロデューサーのチン・オクソップの企画演出による「八佾」(パリル)と題した民俗舞踊の催しのリハ、そして公演を拝観させてもらった。KOUSという政府の文化施設での公演で、八人八様の異なる舞踊、シャーマンダンスから仏僧の踊りまでそれぞれのジャンルの踊り手がソロで次々と踊るもの。音楽家はおよそ10人くらい、チャンゴ、ケンガリ、プク、チンなどの打楽器の他、ピリや笛などの気鳴楽器、クムンゴ、カヤグン、二胡などの弦楽器と多彩、ある踊りには韓国南部からの人間国宝の歌手が自慢の咽を披露した。能楽堂のような小さな舞台で総勢200名くらいの観客だが、驚いたことにそのほとんどが女性である。私たちの公演でも女性が多く目立ったが、友人のドゥイの話しによれば男は舞台鑑賞にはほとんど出かけずカラオケで酒を飲んでいるというのがこの国の風習だという。また男が踊り手になることはとても職業的に難しく、ドゥイ自身も学生時代に舞踊家に憧れ民俗舞踊を著名な師匠について学んでいたが、家族からの猛反対を受け、結局ニューヨークに出て演劇の勉強をし、ラ・ママ・シアターで役者として長く活躍し、韓国に戻る90年代までグロトフスキと四年間仕事をともにしてきたのである。ここで30年ぶりに会ったもう一人の友人、カン・マンホンも若くして民俗舞踊を習いさらにインド舞踊を現地で習得した後、最近までニューヨークとソウルを行き来しながら独自の舞踊活動を続けているが、伝統、現代にかかわらずミュージカルやエンターテイメントのダンスがほとんどを占める状況の中では創造的な活動を続けていくにはとても厳しい国柄であるようだ。そんな中で伝統を現代に繋げる活動を続けている女性舞踊家、金梅子(キム・メジャ)ともドゥイが友人ということもあり、ひと時食事に招待され有意義な話しをすることができた。日本でもよく知られた彼女とは数年前の大野一雄舞踏フェスティバルで横浜に見えた時、お会いして以来で、日本と韓国文化について興味深い会話をし、いつか舞台を共にしようと約束した。


俳優・演出家・脚本家のチャン・ドゥイ、舞踊家のキム・メジャさんたちと


三清洞の景福宮