「11&12」ブッフ・ドュ・ノール劇場最終公演

12月19日、『11&12』のパリ公演が最終日を迎えた。11月24日の開幕以来、日増しに観客が増え、12月に入ってからは三階バルコニーまでに達し、一階席座席前には座布団の補助席が並びだす。ポーランドブロツワフで6月に役者たちと出会い、様々なエキササイズなどを繰り返しながらプレ・リハを一ヶ月ほど行った後、九月より本格的にパリでリハ、最初はリヨン駅近くの美術学校のスタジオで、後にブッフ・ドュ・ノール劇場に移っての作業に入る。今回のキャストは若い新人俳優とキャリア俳優、総勢7人のバランスのとれたグループとなった。一人の役者が主役を演じるのではなく七人が一人の語り部の如く一体となって物語を伝える。この主たる目的にむけてピーター・ブルックの演出の技が冴える。ピーターと脚本を共に書いたマリ=エレーヌ・エスティエンヌはプレビュー、さらに本番が始まっても何度も台本を書き変え、ストーリーの流れがスムーズになるよう追求の手を止めない。しかし悪戯に変更を繰り返すのではなく、執拗ともいえるその作業は、必ずより良い結果をもたらす。音楽はもちろんその度ごとに即興で対応していかなければならない。台詞との音のバランス、動きを鼓舞するリズム、観客を惹き付ける限りなく濃密な弱音、さらなる沈黙。音楽はバックグランドではなく、台詞と分ちがたい関係性をもったもう一つの声と化していく。

 最終日はマチネとソワレの二公演。とりわけソワレの開幕ではこの劇場とこの作品をもって別れることになるため、胸に熱いものが込み上げて来た。75年にこの劇場に来て以来、数々の作品をブルックと製作し、上演して来た。そしてその背後にはブルックの探求をずっと支えて来た豪腕女性プロデューサー、ミシュリン・ロザンヌの存在があった。ブッフ・ドュ・ノール劇場はミシュリンとブルックのディレクションの基、73年より今日まで続いて来たが、来年の春をもって、ミシュリンの健康状態もあり、二人が劇場のディレクションを降る。実質上この劇場を拠点として探求を繰り広げて来たブルックの国際劇団(CICT)も終焉を迎えることになる。
 『ユビュ王』『鳥たちの会議』『マハーバーラタ』『骨』『テンペスト』『ハムレット』『ティエルノ・ボカール』そして『11&12』などブルックとのコラボレーション作品の他に、この劇場で私はは記念すべきソロコンサート、デレック・ベイリーとのデュオ、スティーブ・レイシーとのデュオコンサート、さらには先日の桃山晴衣追悼コンンサートにいたるまで、ありとあらゆる演奏やワークショップなども行ってきた。思い出の山積したこの創造空間が今後どう変わっていくかは知るすべもないが、私にとってこの劇場での35年に及ぶ劇的体験、ならびに音楽体験は、これからも大きな音楽活動の原動力となっていくことだけは間違いない。

ブッフ・ドュ・ノール劇場

『11&12]の一場面 左からマクラム・コウリ、カリファ・ナトゥル、土取利行