桃山晴衣の音の足跡(30)/「生成消滅」に託されたメッセージ


<生成消滅/桃山晴衣&MOMO>
 今日、12月5日は2008年に昇天した桃山晴衣の命日である。彼女が亡くなってからというもの、深い悲しみにつつまれ、心も体も凍てつき、長い闇を彷徨い続けてきたが、この間彼女を暖かく見守り続けてくれた全国の人たちの事を思い、翌年2009年にはなんとか多くの人のご協力を得て東京で「桃山晴衣を偲ぶ会」を催すことができた。
 桃山が残していた幻のバンドMOMOの録音テープと歌詞を書いた紙が見つかったのは、この「偲ぶ会」で流す為の音源を探そうとしていた時だった。MOMOは桃山晴衣のボーカルに、ギターの石川鷹彦、尺八の菊池雅志、キーボードの古田りんずという、彼女にとって初めてといえる実験的な音楽グループで、二年ほど続いたが実際のコンサート数は少なかった。そのため、残された映像は1993年に開催された下北沢タウンホールでのものがかろうじてあるのみだが、そこに彼女がひそかに日本と日本人によせたメッセージが込められた「生成消滅」という大切な曲があった。このコンサートには私も出かけ、この歌も聴いてはいたが当時は桃山の強い日本へのメッセージが込められているとは思っていなかった。四番まで続く歌詞のほとんどは日本人が古来から身につけていたアニミズム的思考と自然感を歌い上げたもので、彼女の名曲「うらうら椿」や「遠野の河童」などにも繋がる歌だと思ったが、その最後の短い歌詞、「海に浮かんだ この島を 葬り去ろうとしている今よ ・・・さようなら  ・・・・さようなら  どこへ行くのか私の舟よ」という付加された歌詞には、なしくずしてきに崩壊してゆく日本人の自然観や感性への愁いが込められている。


桃山晴衣が書き残していた「生成消滅」の歌詞/最後の「この島」は「日本・地球」、「私の舟よ」は「私達」「人類の」と鉛筆で添え書きしている>
 実はこのコンサートの前に、桃山は私と一緒にピーター・ブルックの『テンペスト』の音楽、特に歌の作曲と役者の歌唱指導でパリに一ヶ月程滞在し、その才を存分に発揮した。この彼女の音楽作りについては、また別項を設けなければならないが、このシェークスピア原作、ブルック演出の『テンペスト』でいくつもの作曲を手掛ける中で、生まれた歌の一つがこの『生成消滅』である。『テンペスト』はご存知の通り、シェークスピア最後の戯曲であり、多くの謎が秘められた作品である。ブルックは「テンペストは“自由の意味”を追求した作品といえる。ここにはさまざまな人間の“自由”のとらえかたが験されていると思う」と述べ、「二十世紀の悲劇というのは、人々は自由を手に入れようと闘ってきたのですが、実はその自由とは何なのか知らずにきた、という点だと思います。人々は自由を得るためにお互いを殺しあい、その結果、自由とは何かを知ったつもりでいる。だけど深い哲学的な意味についてはどうか・・・」と述べている。

桃山晴衣作曲のテンペスト、アリエールの歌>
 ブルックの「テンペスト」最後のシーンは「目に見えない神々の姿や妖精や物の精霊を、りくつでなくそれを信じられ、演じられる」アフリカ、マリのソティギ・コヤテがプロスペローとして砂の上に坐り、観客に向かって「あなた方が許しを与えてくれてやっと初めて私は自由になれるのだ」と静かに語って終わる。この時背後から流れてくるのが桃山の「遊びをせんとや生まれけん」である。実に浄化されるような美しいシーンであったが、おそらくこの最後のシーンに影響をうけて作ったのが「生成消滅」という歌である。MOMOでは実際にフランス語の歌詞に作曲した妖精アリエールの歌を自分でもうたっていたし、このフランス語の発音でも劇団の者達を驚かせていた。
 先に述べたようにMOMOはわずか二年のグループで、桃山はその後、古曲宮園節の手を使った今様浄瑠璃三部作「浄瑠璃姫」「照手姫」「夜叉姫」の創作と、ライフワークであった「梁塵秘抄」の作曲と、研究に時間を費やし、世を去った。私が郡上に入院のための身の回りの品を取りに帰った、亡くなる一日前、彼女は病院の寝室で付き添いの看護士さんたちに、日本のうたや音楽の大切さを熱く語り続けたそうだ。
 「海に浮かんだこの島を 葬りさろうとしている今よ・・・」
桃山晴衣を偲ぶ会」の最後で会場に流れたこの「生成消滅」。3.11の哀歌にも聴こえてくる。