三月の東京講演と公演(1)

 着いた日は小雨降る肌寒い夜だったが、翌日はからりと晴れて春陽気になった。この日3月3日は、日仏学院でのピーター・ブルックマハーバーラタ」上映会でのトーク彩の国さいたま芸術劇場で上演予定のブルック・オペラ「魔笛」(モーツァルト)のプレイベントとして催されたもので、会館側はいつも上映会は満席になる事がなかったので、今回も事前に予約をとらなかったし、無料としてしまった。それが大きくはずれ、すでに会場についた一時間前には席を求めて並ぶ人達が列をなしていた。「マハーバーラタ」の日本での演劇公演は1988年、その時の体験を胸に秘めて来場した観客も少なくなく、当時まだ生まれてもなかった若者達も多く集まっていた。

マハーバーラタ東京セゾン劇場公演>(ちなみにチラシデザインは田中一光氏)
結局会場に入れなかった人達は下の階のモニター鑑賞、帰った人も何人かいた。会場には関係者以外、フランス人は見当たらなかったが、日仏会館主催と云う事で私のトークにフランス語の通訳が着く。そのため一時間の内容が三十分になり、通訳のたびに途切れるので得意の即興話しもできなくなる。『マハーバーラタ』は実際の演劇では三部作で全編通しでやると実質九時間少し、一幕ごとの休憩をいれると十二時間劇場にいることになる大芝居。映画はこれを五時間少々にまとめたものとさらに三時間近くにまとめたものがあり、今回は後者の短縮版を採用した。ピーターがこの作品を映画にして残したのはシェークスピア作品を越える多くの示唆的な話しが盛り込まれており、その一つ一つが深い内容を有していることから、それらを演劇体験とは違った形で伝えたいという思いがあったのではないだろうか。ジャンクロード=カリエールが十年の歳月をかけて書いたテキストは映画でも強く心に残る。トークでは音楽作りについて話したが時間が少なくほとんど説明不足に終わった。とにかく十年がかりの作品だけに音楽についても有り余る話しがある。桃山の音の足跡についてはまだ終われるようにないが、自分の音の足跡にもそろそろ着手しなければ。その桃山晴衣の遺稿集ともいえる本の出版は昨年から準備がすすめられていて工作舎が引き受けてくれることになった。そこで今回上京した際に、生前から桃山が装丁を引き受けてもらいたいといっていた杉浦康平氏にお会いして願いをお聞きいただいた。杉浦氏とは長い間お会いする機会がなかったのだが、会ったとたんに思い出話、アジアの話しに花が咲きあっという間に時間が過ぎてしまった。

杉浦康平氏デザイン、桃山晴衣の「恋ひ恋ひて・うた・三絃」>
 桃山は初めての著書である「恋ひ恋ひて・うた・三絃」を杉浦氏に装丁してもらった際、何度も事務所に伺っては話しをするのを楽しみにしていた。杉浦康平氏にはまだLP時代の私の「銅鐸」や「サヌカイト」や桃山のLP「鬼の女の子守唄」のジャケットデザインもお願いしている。また二人で秋山清氏のテキストを基に創った「夢二絃唱」の印象的なコンサートチラシも作っていただいている。桃山晴衣の著書がどう出来上がってくるか今から心待ちにしている。