桃山晴衣の音の足跡(39)「梁塵秘抄」(其の七)最初と最後の作曲

 桃山晴衣は2008年12月に逝去する前年に、ずっと書き続けていた梁塵秘抄に関する文章を「梁塵秘抄・うたの旅」(青土社)として上梓した。この頃は再び梁塵秘抄の作曲にも着手していて念願の足柄でのコンサートも夢見ていた。新曲を発表しながらこれから百コンサートと題して全国を唄って旅する予定だった。しかしこの夢は肉体的に叶わぬことになり、2007年11月24日の南宮大社での「梁塵秘抄うたの旅」出版記念コンサートが最後の演奏会となってしまった。その出版記念会の冒頭で彼女は梁塵秘抄の「滝は多かれど」を祝いうたとしてうたった。そしてこの「滝は多かれど」が彼女の最後の作曲となってしまった。

 この他に二、三曲私の知らない唄も作曲途上にあったが、それらはついに聴くことができなかった。彼女は水の流れが好きな人だった。二十代の頃には木曽川の側に住み、郡上では亡くなるまで吉田川の側で暮らした。そしてこれらの川同様に滝にも興味を持ち、ずっと滝をテーマにしたうたを作ろうと思っていたが、ずっと出来ないままになっていた。そんな時、梁塵秘抄の中に滝をテーマにしたうたがあり、「これまで自分の想いにあった滝がこの一首に凝縮され、立ち現れてくるような感覚がありながら、明るい、嬉しい<うた>になった」とこのうたを作った所以を記している。
 彼女が最初に作ったのが「そよや」である。

 このうたは節々に「や」という囃しことばのようなものがあり、桃山はそこを水滴が一滴したたるような感じで強調させて唄っている。偶然か、最後の作曲「滝は多かれど」でも最後の句「やれことつとう」とあるところの「や」を囃子ことばのように切って唄っている。残念ながら「滝は多かれど」は彼女自身がうたった完全な録音が残っておらず、私が節を辿りながら今回YOUTUBEになんとか発表しておくことにした。前にも紹介したが一番最初の作曲である「そよや」もここに合わせてUPしておく。「滝は多かれど」の映像は郡上白鳥の名滝「阿弥陀ヶ滝」、そして「そよや」の映像は下がり藤が咲き乱れた立光学舎下の吉田川である。