MAREMBO朗読

「それは1994年4月7日、朝10時のことだった。天気予報は台風の徴候はみられないと報告していた。カッコウが鳴き、火山は静けさを保ち、ナイル川は眠りについていた。私たちは寛大な大地の上に暮らし続けてきた。20世紀最後の私たちの唯一の不幸は、皆がいつの間にか洗脳されてしまったことだ。」
 5月25日、BANK ARTStudioでのTICAD×Renovation Project vol.4は、ウルヴィントーレの『The Investigation 追求』の公演の後、引き続いて会場を解体作業中のスタジオに移し、ウルヴィントーレの面々に、演出家のドルシー、マリの美術家アブドゥー・オウォログム、私が加わりコラボレーション・プログラムを展開した。
 上記の一文は『MAREMBO』のイントロ。ドルシーの希望でこのコラボレーションの始めに彼がフランス語、私が日本語訳を朗読した。以下、彼の家族についての朗読文の一部を紹介しよう。
「この朝、キミフルラの丘には雨が降った。キガリの高地の朝は降雨にもかかわらず、美しかった。やがて雨は止み、陽が降り注ぎ、天の恵みとすべての生命がよみがえった。ところが、この朝は呪われたのだ。」
「キミフルラへ向かおうと武器を手に、人々は我が家の張り出し玄関で、雨の上がるのを待っていた。私の兄弟、姉妹、両親にとっては、それ自体が苦痛だった。敵は挑んで来た。狙いを定めた彼らは、盗人を捕まえるかのように父を引きずり、膝間づかせ、面前で兎のように撃ち殺した。おお神よ。母は引きずり回され、襟首をつかまれ、頭に銃弾を受けた。七歳の私の妹ジニー、弟、全員が一気に殺害された。三日間、昼夜を問わず、何千もの家族が同じような手口で、地下に葬り去られた。こうしたことは、これまでルワンダの歴史にも伝説にもなかったし、話す言葉さえみつからないほど残酷なものだった。とはいえ、それが当時の論理であり、法であり、文化だったのだ。」