マリの美術家アブドゥー・オウォログム(2)

 30年近くにわたるP・ブルック劇団の仕事で、多くのマリ共和国の役者と出会った。劇団に参加した1976年当時はマリク・バガヨゴがいた。80年代になり、大作『マハーバーラタ』が始まると、マリクにかわってソティギ・コヤテが参加した。彼はマリとブルキナファソの両国籍を持つグリオファミリーで高名な映画俳優でもある。その後の『テンペスト』ではプロスペロー役のソティギに加えアリエール役としてバカリ・サンガレが加わった。そして2000年代にはいると最新作『ティエルノ・ボカール』でソティギに加え、名優ハビブ・ダンベレと女優のジェネバ・コネ、そして舞台美術家としてアブドゥー・オゥオログムが参加した。このように多くのマリの俳優と舞台をともにしてきたが、アブドゥーとの出会いはこの『ティエルノ・ボカール』の製作準備でブルックとマリを訪れたときに始まる。このとき私にとってマリは二十数年ぶりの訪問だった。
 1979年、初めてマリ共和国を訪問したのは人類学者マルセル・グリオールの『水の神』に書かれたドゴン族の宇宙観に魅了されたこともあり、彼らの音楽に触れてみたいということが目的だった。人類学者の故西村滋人氏がフィールドワークを続けていたこともあり、彼の案内でバンジャガラに滞在し、そこからドゴン族の村に出かけた。しかし当時は、ドゴン族の住むサンガまでは10日に一度開かれる青空市場に向かうトラックの荷台に乗って出かけるしかなかった。西村氏がサンガ村の長と親しかったこともあり音楽を聴き、仮面ダンスを観ることはできたものの、バンジャガラに戻って早々、マラリアに襲われ四日間生死をさまよった。このときイスラーム教徒の老人がやせ衰えた私を元気づけようと、村では高価な卵を友人に託してくれ勇気を与えてくれた。このあたりのことは自著『螺旋の腕』に書いたが、このバンジャガラにイスラームの聖者ティエルノ・ボカールが住んでいたことは、当時まったく知らなかった。またティエルノの教え子であり、多くの文学作品を残している作家アマドゥー・ハンパテ・バーもまたこの地に生まれ育ったことも。ティエルノ・ボカールはイスラーム神秘主義、ティジャニ派に属し、バンジャガラには多くのティジャニ派の教徒がいる。わたしに卵を与えてくれた老人もこのティエルノの教え子だったかもしれない。かれは当時丸刈りだった私をマラヴー(イスラームの僧)と呼んでいた。もちろん私はイスラーム教徒ではない。ブルックとの旅ではバンジャガラのティエルノの生家、墓地にでかけ、現地でティジャニ派教徒たちの歌を聴かせてもらったりした。
 イスラーム神秘主義のティジャニ派集団が暮らすバンジャガラと非イスラームアニミズムの世界観を生き抜くドゴン族が暮らすサンガ村。この地には多くの宗教的風が吹いている。そして『ティエルノ・ボカール』で共に仕事をすることになったアブドゥー・オウォログムはドゴンの出自であった。

【ティエルノ・ボカールの教育場跡/バンジャガラ】