郷に入れば郷に従え?

 旅の鉄則のようにいわれる「郷に入れば郷に従え」ということわざ。しかし今回のような一年に渡る短期移動型の旅ではそれもままならぬこと多し。遠く離れた国に数時間で飛行してしまえる現代、郷に従う以前に時差ぼけのまま次の郷へと移動しなければことがある。また一週間ごとの移動では、フランスから今回のスペインへの移動でも、隣国ではありながら全く文化的風習の異なる国への移動は、これも肉体的苦痛が伴う。マドリードには二十数年前に「マハーバーラタ」公演のためにかなり長く滞在していたはずだが、町の通りもなにもかもすでに記憶から全く遠のいてしまっていた。旅で苦労するのが食事であるが、マドリードでは昼食時間が2時ころから始まり、夜は9時ごろから始まる。イギリスでも、フランスでもたいてい昼は12時、夜は7時ころからとなっているが、ここに来て体内時計を変える必要に迫られた。食べ物そのものも油地獄とまではいかないもののスペイン独特のタパスという魚類の唐揚げや豚の脚の薫製等々、これに必ず強度のワインの数々がついてくる。もともとグルメ派ではないし、肉食をしない淡白な食生活を続けてきたわたしにとっては、食事の内容も時間帯もすべてが空回り。郷に入りきるにはそれなりの時間的、肉体的余裕が必要であろう。
 また毎日五百人以上の観客を相手にプレイをし、陽気なスペイン人の人ごみとここレアルマドリードの本拠地の熱狂的な群衆の人ごみの中を歩いていると、静かな所に赴きたくもなる。そんな心を落ち着かせてくれる場所が賑やかな人ごみに包まれたプラド美術館に隣接した広大な敷地のレティロ公園と王宮植物園。サッカーに熱狂し闘牛に血を騒がせるマドリードの衆が訪れる静かな場所である。イギリスでも公園をよくたずねたが、ヨーロッパのそれは管理がいきとどいていて整然としている。五月の緑に包まれたこれらの公園で時折体内時計の調整をするのがわたしの長旅の秘訣でもある。

王宮植物園