土取利行の音楽夜会「日本のうたよどこいった」


「ままにならぬは浮き世のならい
まま(飯)になるのは米ばかり
オッペケペ オッペケペッポー ペッポッポー」
壮士演歌とよばれる川上音二郎の「オッペケペー節」の冒頭の歌詞である。
これは明治23年から24年頃に作られたものだが、この頃「ままになるのは米ばかり」と唄われていた米が、今はTPPでまさに「ままならぬことになりつつある」。明治大正の演歌師ならずとも、昨今の日本をみて私も「米も食わぬに米国とだれが名づけたアメリカを・・・」と唄いたくなるが、このような明治大正に唄われてきた演歌とよばれる歌には、現在にも通じる社会や政治に対する鋭い批判やメッセージが多く詠み込まれている。
 明治大正演歌については、このブログの「桃山晴衣の音の足跡」(13)と(14)で紹介してきたので参照して頂くとして、実は今月11月25日(金)と26日(土)の二日にわたって私の初めての演歌の会が催されるのでお知らせします。

 この突拍子もないコンサート開催の理由の一つは、連載中の「桃山晴衣の音の足跡」に書いているように、伴侶であった彼女が昇天してから多くの資料を整理する中、明治大正演歌に関しても貴重な資料や録音が残されており、微力ながらそれを学び継ぎたいという思いにかられたことと、桃山自身が演歌創始二代といわれる添田唖蝉坊の長男で演歌師の添田知道師と20年近い親交を持ち、歌のみならず演歌についての広い知識を享受していたため、知道師や桃山の演歌の足跡が少しでも多くの人に伝えられたらと思ったからである。

添田知道師から桃山晴衣に送られた著書>
 今回は一夜目を『添田唖蝉坊・知道/演歌二代風狂伝』(リブロポート)の著者である木村聖哉氏をゲストに添田唖蝉坊、知道と明治大正演歌について語ってもらい、添田知道師から桃山が学んだことなどを、私の三味線弾き唄いとともに紹介したいと思っている。普段は打楽器中心のものが多いので、唄や弦楽器のコンサートは異例と思われるかもしれないが、日本ではあまり披露しない弦楽器や唄もピーター・ブルック劇団ではよく手掛けているのである。それでも三味線は桃山のお家芸であり、私がそれを手にする事はこれまでほとんどなかった。今回、なぜあえて慣れないこの三絃を手にするかと云えば、桃山の残したいくつかの三味線をこのままにしておけなくなったのと、私自身日本のうたを唄い、知る為にはこの楽器が一番適していると考えたからである。とりわけ私と同世代の60年代、70年代に青春を謳歌してきた世代は、ロックやフォークなどアメリカのポップスに傾倒していく中で、それまで続いていた三味線唄である小唄や端唄、浪曲義太夫、説教語り等の伝統的な日本音楽を忘れ去り、今にいたってしまっている。江戸時代から続いてきた三味線歌の伝統はギターを手にしたロックやフォークに押され、ここからヨーロッパの和音、コードとリズム中心の歌が謳歌するようになり、非和声的な本来の日本のうたが大きく様変わりして、いびつな状態を呈することになっていく。こうした日本音楽の西洋化ともいえる現象は明治の文明開化とともに始まるわけだが、明治大正時代に流勢を極めた演歌には江戸時代からの里謡や上方、江戸などの都の流行歌の節や歌詞が多くとりこまれていて、日本のうたの原型をそこから感じ取る事もできるし、当時移入されてきた外来の音楽を取り入れた演歌とそれらを比べる事で、唄の変遷を確かめる事もできる。いわゆる自由民権運動のために明治20年頃に生まれた「演歌」は、大正12年の関東大震災の後、ラジオやレコードという唄を伝える新たな媒体によって、人から人へ伝えてきた在り方をも大きく変えられ、やがて商業的な歌謡曲が支配的となるにつれ巷から忘れ去られていった。そして今、巷に氾濫している日本のうたは、西洋の和音とリズムに支配された日本語と馴染まない歌があまりにも多すぎるし、この商業音楽の中に日本人は埋没してしまっている。

 今回のもう一人のゲストである岡大介君は、もともと私たち世代のフォーク歌手に傾倒し、ギターを手にフォークソングを唄っていたが、日本語のうたをギターのコードと、とりわけアメリカのフォークリズムで唄うことに違和感を覚え、沖縄のカンカラ三線で、演歌のノリの唄に切り替え添田唖蝉坊や知道の歌を唄うようになっていったという、たのもしい異端である。岡君には今年初夏に我が立光学舎で演歌を唄ってもらい、数曲は私も一緒に演奏した。今回の第二夜は彼と添田唖蝉坊や知道の演歌を唄おうと思っている。明治大正演歌は冒頭のオッペケペー節のように語りの系譜に属するものも少なくないが、長い歌や語りのような演歌はあまり紹介されていない。桃山はこれら語りのような演歌にも興味をもっていて、添田知道師から多くの語り歌も教えてもらっていた。その中で彼女が唄いたかったと云う歌の一つに「ああ踏切番」という長い語り歌がある。幸いこの全曲を添田知道師が桃山に唄い残してくれたテープが残っていたので、今回の会で唄おうと思っているのでお楽しみに。ともあれ、TPPなどと騒ぐ以前からアメリカやヨーロッパの音楽遺伝子組換えを自ら一世紀以上に渡って行ってきた日本人に明治大正演歌が「日本のうたよどこいった」と示唆するところは大きい。
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・ 「日本のうたよどこいった」土取利行の音楽夜会
◆第一夜/添田唖蝉坊・知道の明治大正演歌を語る
11月25日(金)19:00開演
入場料/3500円(ワンドリンク付き)
ゲストトーク/「添田唖蝉坊、知道、演歌二代風狂伝」木村聖哉
トークと演奏/「桃山晴衣添田知道」土取利行(唄、三味線、他)
◆第二夜/明治大正演歌を唄う
11月26日(土)17:00開演(午後の開演になりますのでご注意を)
入場料/3500円(ワンドリンク付き)
出演/土取利行(唄、三味線、太鼓、他)
   岡大介(唄、カンカラ三味線)
◆会場/馬喰町ART&EAT
〒101−0031
東京都千代田区東神田1−2−11アガタ竹澤ビル202
URL http://www.art-eat.com
◆ 予約申込み先/TEL&FAX 03−6413−8049
◆ Mail/ bakurocho@art-eat.com

◆二日通し券は6500円(ワンドリンク付き)
◆入場は予約者優先となりますのでなるべくお早く予約お申し込みください。
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