遂に発売!!!2枚組CD「土取利行 / 添田唖蝉坊・知道を演歌する」

 昨年の12月から二ヶ月間、寒風吹きすさぶ郡上の我が家でコツコツと録音を続けてきた近代流行歌の祖、添田唖蝉坊・知道の曲を網羅したCDが遂に完成。ここに至るまでの経過は、これまで幾度か書いて来たので省略するが、凡ては我が伴侶の桃山晴衣添田知道先生から長い間「演歌」を学んでいたことに始まる。そして彼女が昇天した後、未だに終わっていない多くの遺品、資料の中から貴重な演歌の資料、音源などが発見され、その重みを感じつつ、いつの間にか桃山の三味線を手に自ら唄いだしていたというのが実際のところである。
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<土取利行/添田唖蝉坊・知道を演歌するCDジャケット>
さて本CDは2枚組で、全27曲.<ディスク1>
1 拳骨武士 2 チャクライ節 3 ストライキ節 4 ラッパ節 5 社会党ラッパ節 6 あきらめ節 7 ああわからない 8 ああ金の世 9 ゼーゼー節 10 思い草 11 むらさき節 12 奈良丸くづし 13 マックロ節 14 カマヤセヌ節 15 現代節<ディスク2>
1 青島節 2 ノンキ節 3 ブラブラ節 4 ああ踏切番 5 東京節 6 つばめ節 7 虱の唄 8 復興節 9 ストトン節 10 月は無情 11 恋を知る頃嫁ぐ頃 12 生活戦線異状あり

以上の曲目であるが、演歌は全歌詞を聴いてこそ意味があるという添田知道先生の言葉もあり、ほとんどの唄は歌詞を省かずに収めたために今回収録できなかった唄も少なくない。ディスク1の「拳骨節」から「現代節」までは全て唖蝉坊の曲、初期の壮士青年倶楽部の時代から、独自の演歌を繰り広げる絶頂期の頃の唄を年代毎に並べた。そしてディスク2の「東京節」から知道氏の曲が加わり、最後は唖蝉坊の最後の唄「生活戦線異状あり」で締めている。
 なお今回は唄、演奏、録音、ジャケットデザインまで独りで行なってきたが、最後のミキシングは間章の時代のときから音響をやっていただいている須藤力氏に大いに助けていただいた。
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 この演歌は、いわゆるバイオリン演歌でもフォーク演歌でもロック演歌でもない。桃山晴衣は自分で演歌の会を持っていた頃、某評論家から「あんたの声は演歌声じゃない」といわれて、添田先生に「唖蝉坊の声は澄んで高く美しい声だったと誰もがいうのに、なぜ演歌師の声を濁声と規定してしまうのですか」と聴いたことがある。演歌のみならず、三味線で小唄を唄っても芸者や四畳半しかイメージできないのと同じく、演歌や三味線音楽は現代の日本人に非常にいびつな形でしか理解されなくなってしまっている。
 今回、私はこの三味線にこだわった。なぜなら唖蝉坊自らが記しているように、演歌は明治、大正期を通して変化はしたものの、その背後に流れる情緒は依然伝来の「三味線調」であると。そしてその意味するところは、昭和に入って演歌の時代が終わるとともにレコード産業による歌謡曲が広がり、演歌とは無縁であったピアノやギターと云う西洋の和声楽器が伴奏の主軸になり、初期の演歌師がアカペラでうたったり、書生がバイオリンだけで唄ったりしていた時とは基本的に異なるものとなっていったからである。私はインドが長かったせいか、そこでやはり西洋の和声に支配されていない、伝統音楽を唄、楽器ともに学んできたし、日本では桃山晴衣の三味線と洗練された彼女の唄い方を学んでもいた。それゆえ、本CDでは三味線とインドの擦弦楽器エスラジ、バンスリ(笛)、ネパールの太鼓(ダマル)などを自ら演奏して録音にのぞんだ。皮肉なことに演歌の時代は大東亜戦争の時代でもあり、日本は元来の伝統文化の礎ともいえる亜細亜各国に侵略の手を伸ばし、列強の一員と成ることばかりを夢見、日本音楽は洋楽至上主義と化し、音楽教育にまでそれが浸透してしまい、現代にいたっている。こうした意味で、本CDは現代の日本音楽に対する私のささやかな抵抗の調べでもある。