添田唖蝉坊 の検索結果:

土取利行の音楽夜会「日本のうたよどこいった」

…歌創始二代といわれる添田唖蝉坊の長男で演歌師の添田知道師と20年近い親交を持ち、歌のみならず演歌についての広い知識を享受していたため、知道師や桃山の演歌の足跡が少しでも多くの人に伝えられたらと思ったからである。 <添田知道師から桃山晴衣に送られた著書> 今回は一夜目を『添田唖蝉坊・知道/演歌二代風狂伝』(リブロポート)の著者である木村聖哉氏をゲストに添田唖蝉坊、知道と明治大正演歌について語ってもらい、添田知道師から桃山が学んだことなどを、私の三味線弾き唄いとともに紹介したいと…

桃山晴衣の音の足跡(29)具わる年令を超えた芸格

…者で、演歌の創始者の添田唖蝉坊を父に持つ添田知道に師事した。 「唖蝉坊そのものが、演歌をより音楽的な方向へといざなった人であったが、演歌師の中には、女も、夫婦連れも、音楽学校へ通っている正統派の人もいた。ちなみに唖蝉坊の歌は美声であったという。明治も終わり近く、神長暸月によって演歌にはバイオリンがつくようになった。それがセットになって定着したのはバイオリンが当時ハイカラで目新しい楽器だったからだろうか。添田知道先生はなんとかほかの楽器も使えないものかとウクレレを試してみたりし…

立光学舎ライブコンサート 岡大介の明治大正演歌

…歌の根源へと向かい、添田唖蝉坊、添田知道という明治大正演歌二代の世界へと急接近をはじめた。60年代の日本のフォーク歌手がうたってきたギターで歌う日本のうたにも大いなる疑問を持った彼は、ギターを手放し沖縄の民衆楽器、しかも蛇皮線ではなくカンカラ三線という空き缶に竿をつけ三絃を張ったシンプルな楽器を伴侶とし、日本音楽の敵ともいえる和声から開放された日本音楽復興節を高らかに歌い続ける。 明治大正演歌は、「桃山晴衣の音の足跡」でも書いたように、演歌二代といわれる添田親子、すなわち添田…

立光学舎春季ライヴコンサートのお知らせ

…ってきた演歌の創始者添田唖蝉坊の子息添田知道さんのことなども書いてきましたが、これを書いた直後に明治大正演歌を自分のニッポンの歌としてうたい続けているという岡大介という歌い手のことをしり、全国をながしてもいるようなので、どうせなら立光学舎でナマの声を聞いてみたいと、本演奏会の運びとなりました。彼はかつての桃山晴衣の於晴会のメンバーで『添田唖蝉坊・知道』の著者でもある木村聖哉氏とも会って、桃山のことも聞いているとのこと、その話しを聞くのも楽しみです。コンサートは5月3日の3時開…

「桃山晴衣の音の足跡」番外篇 東北関東大震災に寄せて

…た叔父の家に戻り、父添田唖蝉坊は一人東北をめざした。すでに誕生から三十数年を経ていた演歌そのものは壮士から書生、そして音楽的にもバイオリンや他の楽器をとりいれて気骨を亡くした演歌師も少なくなかった。が、「避難民」とよばれ「人災のつなみ」の中に巻き込まれた添田知道氏の演歌魂は惨状の説明だけには終わることはなかった。焼け野天に残った知道氏は人間集団の吐き気を催すような不条理を目のあたりにすると同時に、焼土と化した地に残り必死で生きていこうとする衆の頼もしく強い生命力にも揺り動かさ…

桃山晴衣の音の足跡(14)明治大正演歌と添田知道(2)

…。 【写真前列右端:添田唖蝉坊、その列左はし:竹久夢二とそのマントにくるまれた添田知道少年】 桃山はまた「寒村会」や「橘宗一少年の会」を、「人々の間に関連がなければ音楽が伝達もされず意味も持ちえない」と何かの本で読んだ言葉が実感される経験であったといい、その二十日後には新たな観客を前に「古典と継承」を開催して多くのことを学んでいく。これらの経験がやがて『梁塵秘抄』を発表した際、花園神社に始まり、鴨川や見知らぬ寺院境内、大学キャンバスなどを舞台に不特定多数の人に向けてうたうとい…

桃山晴衣の音の足跡(13) 明治大正演歌と添田知道

…、演歌の創始者である添田唖蝉坊の子息であり自らも多くの演歌を作詞、作曲してきた添田知道氏のところへ”内弟子”と称して弟子入りし、昭和の歌謡曲にまで発展したこの民衆歌、演歌の実態について学んだ。 そこで、添田知道氏の『明治大正時代の演歌』という著作をもとに演歌について概説しておこう。演歌は明治20年頃に、自由民権運動の産物として発祥したとされている。明治は民権自由の声が高まった時代であるが、いうまでもなく民権運動は政権者の弾圧をうけ、まったく言論の自由を奪われていた。民選議院の…

桃山晴衣の音の足跡(12)子守唄

…治大正演歌の創始者、添田唖蝉坊の子息であり自らも多くの演歌の作詞・作曲を手掛けていた添田知道氏について学んでいたことから、派生した記念すべき会であった。演歌は歌謡曲の代名詞のようになってしまっているが、ご存知の通り、もともとは明治から大正にかけての弾圧的な国の政治、為政者に対して、虐げられた民衆の代弁者として立ち上がった社会主義者やアナーキスト達が、直接の抗議演説を街で繰り広げるのは困難だったため、うたにして政府の目をくぐり抜け、民衆にメッセージを伝えようとしてわき起こった演…