高雄歌舞伎と立光学舎

 昨夜、久方ぶりに我が高雄歌舞伎の稽古を観てきた。岐阜県は全国的にも地歌舞伎あるいは農民歌舞伎とよばれる庶民の芸能団体が最も多いところであるといわれている。その中でも200年の伝統を持つという我が市島地区で続けられてきた高雄歌舞伎は断トツに芸達者な衆が揃っている。桃山晴衣と一緒にこの市島地区の立光(りゅうこう)に二人の活動の拠点「立光学舎」を設立したのが1987年。このような伝統的な集落に二人のアーティストが居住するのは容易なことではないが、それを可能にしてくれたのはこの時の地区の自治会長を務められていた和田憲彦氏の力添えによるところが大きい。当時、和田氏は高雄歌舞伎の会長も務められており、芸に対する理解力は人一倍高く、立光学舎建設の際もわたしたちを身内の者同然に受け入れてくれ、その翌年に開催した郡上八幡88フェスと名づけた「タゴール・フェスティバル」でも、私が「マハーバーラタ」公演中で郡上に滞在することができなかったため、孤軍奮闘する桃山をバックアップしてくれた頼りがいのある人だった。この和田氏に、私たちはここに住む以上、芸を通して地区の人に何らかのお返しをしたいという約束を交わしていた。そしてそれは「タゴール・フェスティバル」の翌年から開始した「伝でん・奥美濃ばなし」というフェスティバルを通して結実していった。

 

 







<高雄歌舞伎で熱演する和田憲彦氏>
 私たちはタゴールから学んだ、地元にあるものを尊び、学び、伝えるということをモットーに、郡上に伝わるさまざまな話をまず古老から聞き出すという作業から始め、郷土史家の先生たちの歴史研究からも多く学んだ。こうした作業を続けながら十年間に地元の人々と三本の劇作を創作してきた。(三本というのは数少ないと思われるかもしれないが、プロデュースから制作まですべてを私たちがやるために時間を要するのと、作品化するまでの下調べに多くの時間をさいたためでもある)。
 一作目は立光地区の子供たちと和田憲彦さんの参加を得て、郡上一帯に伝わる話しを桃山が浄瑠璃仕立てにし、わたしが楽器演奏を努め、子供たちの歌語り、影絵、人形劇(ひとみ座の協力による)、和田氏の郡上弁語りと、いくつかのフォームで作品を発表した(ちなみにこれは東京青山の円形劇場で一週間に渡って上演された)。


<東京公演の「伝でん・奥美濃ばなし」>


 そして二作目からは郡上に多くの足跡を残す円空の書いた粥川縁起という戯曲をもとに桃山が脚本を手掛け「高賀山鬼伝説」を神楽劇として発表。そして三作目は全国的にはあまり知られていない飛騨の白川郷に実在していた戦国時代の「帰り雲城」の話を浄瑠璃劇とし桃山の脚本で、前作同様高雄歌舞伎の名優と一緒に作り上げた。ちなみにこの帰り雲城は天正時代の大地震で崩壊し黄金が埋もれたままになっているという伝説が先走りし、歴史的な事実にはあまり関心が向けられてこなかったが、この地震で四人の者だけが助かり、彼らが郡上の私たちの地区に今も暮らしている内ヶ嶋さんたち。そして芝居で城主を演じたのがまさに内ヶ嶋の末裔であろう憲一氏なのだ。またこれらのフェスティバルにはシンポジウムも組み込み、民俗学者谷川健一先生、民族映像研究所の姫田忠義先生、写真家で民俗学者内藤正敏氏などに地元に関係のある貴重な話しをテーマに講演していただいた。
 
<「高賀山鬼伝説」>          <「幻の帰り雲城」>     
 わたしはブルック劇団で訪問したインドやアフリカ、南米などの村で庶民が生活の中から創意工夫して生み出した、荒削りではあるがエネルギッシュな演劇を幾度となく見て、感銘を覚えてきた。反面、日本ではこうした演劇に匹敵するものがほとんど見られないことを残念に思っていた。
 桃山は宮薗節という浄瑠璃の中でもとりわけ洗練された古曲を収めたうたと三味線の達者であり、わたしは20世紀最大の演出家といわれるピーター・ブルックとの仕事を長く続け、究極的ともいわれる演劇の創造にかかわってきている。しかし私たちは世界でのアーティスティックな音楽、演劇活動と同時に、日本での新たな創造力を展開していくために常にこうした芸能の根底にある庶民のエネルギーの必要性を自覚してきた。そして実際、郡上でのこうした活動期を通して、高雄歌舞伎の連と共に仕事をしたことで日本での新たな創造へのステップを踏むことができた。高雄歌舞伎の衆も私たちとの共同作業でこれまでにない世界を体験され、これが今も彼らの歌舞伎の中に生かされていると思う。
 二回目の伝でん・奥美濃話「高賀山鬼伝説」に出演していただいた後、和田憲彦氏が逝去され、その後を坪井利久氏、坪井孝信氏と名優がそれぞれ高雄歌舞伎会長を受け継ぎ、この間わたしたちは彼らとの仕事からしばし離れていたが、桃山が昇天した今、「幻の帰り雲城」で主役を演じた内ヶ嶋憲一氏が会長となり、義太夫、三味線をやはり私たちの芝居で活躍した和田一石、日置憲正氏が担当。(「帰り雲城」で笛を初めて吹き、演技も始めた細川竜也氏は今は郡上踊りのうた、三味線、高雄歌舞伎でも役者、三味線を担当するまでになっている)。そして何よりもうれしかったのはすでに逝去された私たちの尊敬する村の芸達者たちの古老の孫たちが今回素晴らしい演技ぶりをみせていたことだ。今年は子供が中心の歌舞伎になるが、子供とて侮るなかれ、彼らは大人以上の無垢さと集中力をもって演技に徹する。

 <伝でん・奥美濃ばなし/「幻の帰り雲城」の楽隊>
 フェスティバルと銘打って外からタレントや有名人を連れて来て即席に作り上げるイベントとは決別し、この地域に限った人たちと作り上げて来た十年がかりのこれらの作品は、一方でピーター・ブルックと十年がかりで作り上げて来た「マハーバーラタ」と並んで私の中では、非常に忘れがたく重要な仕事となっている。このことは郡上をこよなく愛していた桃山晴衣にもまた言えることでもあるが、この十余年にわたる立光学舎の創造的季節についてはいずれ詳しく記したいと思う。
 高雄歌舞伎、秋祭り、そして立光学舎のワークショップ「創造塾」と続く秋は、自然の移ろいとともに感性を研ぎすます季節でもある。
 なおこれら郡上での活動はワークショップでも貴重な映像と共に振り返りたいと思っているので楽しみに。