桃山晴衣の音の足跡(23)幻の古曲、宮薗節(二)

さて、町田嘉章氏の「宮薗節の起こりとその伝承」を参考に、明治から現代にいたる宮薗節後継者の流れを見てみると、先の二人の名取り小川さな(二世宮薗千之)、梅田たづ(二世宮薗千寿)は、明治二十一年年十二月に宮薗清八こと宇治里清三郎の頭取のもと、…

桃山晴衣の音の足跡(22)幻の古曲、宮薗節(一)

桃山晴衣の音楽には、古曲宮薗節の伝統が秘められている。かつて永井荷風が『雨瀟瀟』で、「浄瑠璃も諸流の中で最もしめやかな薗八節に越すものはない。薗八節の凄艶にして古雅な曲調には夢の中に浮世絵美女の私語(ささやき)を聞くような趣がある」と讃し…

盛夏、東国西国(栃木那須、岡山美星町)での公演予定

七月末から八月初めにかけて、日本の東と西の地で素晴らしいコラボレーターとのパーフォーマンスを行います。那須「山のシューレ」縄文のオトとカタチの原風景 土取利行+猪風来(縄文造形) まず東国は栃木県那須横沢地区で開催される「山のシューレ」。こ…

桃山晴衣の音の足跡(21) 父との決別

桃山晴衣の『恋ひ恋ひて・うた三絃』は、彼女が私と出あうまでの半生記を書いたもので、その自叙伝は父、鹿島大治氏の影が大きく横たわっている。明治36年東京生まれの鹿島大治氏は父に鹿島清三郎、“写真大尽”とよばれた鹿島清兵衛の実弟を。清三郎は六年間…

桃山晴衣の音の足跡(20) 英十三(はなぶさ・じゅうざ)氏の手紙

桃山晴衣が大事に残していた英十三(本名田中治之助)氏の手紙がある。英十三氏については先の小唄の解説のところでも少し紹介したが、自らも吉田草紙庵らと組んでいくつもの小唄の作詞も手掛けている、明治生まれの邦楽評論家、著作家である。手紙の大半は1…

韓国、高陽(コヤン)市の第17回チャンム・ダンス・フェスティバル

昨年のP・ブルック劇団ソウル公演での韓国体験余熱がさめないまま、第17回チャンム・ダンス・フェスティバルのオープニング・プログラムでキム・メジャさんとのコラボ作品『光』を上演するため、再び一週間程韓国を訪問した。今回はソウル市の北に位置するソ…

信州松本市、ラボラトリオでのライブ情報

ここ数年、私のライブ演奏は東京の馬喰町ART&EATでほとんど行っている。若い頃によく演奏した新宿、渋谷、池袋といった繁華街ではなく、下町の雰囲気をわずかに残す繊維問屋の立ち並ぶ新しいカルチャー・スポットにあるこのギャラリー、レストランは、この店…

桃山晴衣の音の足跡(19)1960年代から70年代の日本音楽迷走期

「晴衣さんを見ているとパリのシャンソンと江戸の小唄の似ているところがわかるような気がする。もっともシャンソンは叙事的なものが多く小唄は情緒的だが・・・。どこの国でも同じようだが、唄はふたつの大きな流れを持っている。文学としての歌詞による区…

第17回チャンム・ダンスフェスティバル Goyang2011で再び韓国へ

昨年12月8日、奈良県で開催された平城遷都1300年記念グランドフォーラムで絶賛を博した韓国の革新的舞踊家キム・メジャ(金梅子)さんとのコラボレーション作品が、すでに17回を迎える韓国のチャンム・ダンスフェスティバルのオープニングを飾ることに…

立光学舎ライブコンサート 岡大介の明治大正演歌

五月の風のような、爽やかな青年がカンカラ三線をいれたリュックを背に立光学舎にやってきた。岡大介(おかたいすけ)という32才の若き演歌師である。二十歳過ぎまではサッカーのプロ選手になることを真剣に考えて毎日ボールを蹴っていたが、これが叶わぬ…

桃山晴衣の音の足跡(18)唄と浄瑠璃

「桃山晴衣の音の足跡」として筆を進めているうちに、関東東北津波大地震になり、被災地と原発危機の情報ばかりが耳目を覆うようになってしまっている。TVはほとんどNHKのニュースしかみていないのだが、それでもここ数週間、タレントや音楽家の被災地訪問や…

桃山晴衣の音の足跡(17)小唄の流れ

ぐずぐずと 泣きごと云うなよ 命があらば 復興するのも うでひとつ これは関東大震災のときにうたわれたという「復興節」の歌詞。先に演歌の「復興節」を紹介したが、この同名のうたは小唄である。 小唄で大震災の唄がうたわれていたとは思いもよらなかった…

立光学舎春季ライヴコンサートのお知らせ

今年の五月連休は、恒例のワークショップに変えてライヴコンサートを立光学舎で開催します。題して「ニッポン音楽復興節」、かんから三線を手に全国を流し唄い続ける若き歌手、岡大介(おかたいすけ)の明治大正演歌を中心にしたユニークな会です。 このとこ…

桃山晴衣の音の足跡(16)安政の大地震と清元お葉

まだまだ日本全土を東北関東大震災の暗い影が覆い続けている。桃山晴衣の音の足跡と題してこのブログを書いていても、ついつい地震のことが気がかりになってくる。そこで先に関東大震災と演歌師の添田知道氏のことを書いたが、今回も少し迂回し、江戸安政の…

桃山晴衣の音の足跡(15)小唄とアナキズム/秋山清との出会い

安田武が『思想の科学』で「桃山晴慧論」を書いた翌年の1964年、尾崎秀樹が編集人を努める『大衆文学研究』という雑誌の第九号に「座談会・文弥新春芸談」と題した記事が掲載されている。会のメンバーには岡本文弥、添田知道、虫明亜呂麿、安田武、大竹…

「桃山晴衣の音の足跡」番外篇 東北関東大震災に寄せて

今回の東北関東大震災の惨事によって、悲しみの連鎖が日本列島を覆い尽くし、私自身もしばし思考停止状態が続き、ブログを先に進めることもままならなかった。 この地震をめぐっては被災地の状況をはじめ様々な角度から問題提起がなされているが、深刻な原発…

桃山晴衣の音の足跡(14)明治大正演歌と添田知道(2)

「こないだはごちそうさま。いろいろ準備でたいへんのときと思うけど、もしそのなかでくり合わせがついたらとお伺い。荒畑寒村老の生誕会を毎年やっているのだが、世話人の、いつか行った巌嘯洞の平岩と近藤真柄、おんなビッコ隊、それがこっちへ出向いてく…

桃山晴衣の音の足跡(13) 明治大正演歌と添田知道

「古典と継承」シリーズで、桃山晴衣は「雪女」「婉という女」など語り物に挑戦した。それは明治以降、西洋音楽を尺度にするようになり、語り物が音楽ではないという風潮になってしまっているという疑問からの出立であった。うたが好きだった桃山は、常に自…

桃山晴衣の音の足跡(12)子守唄

わらべうたと同様に、桃山晴衣が非常な関心をもっていたうたが子守唄である。わらべうたは男女ともにうたう子どものうたであるが、子守唄は子守りをする守り子や母親、つまり女性のみがうたった特有の唄であるということも、彼女にとってより魅力だったにち…

桃山晴衣の音の足跡(11) わらべうた

小泉文夫氏の『おたまじゃくし無用論』は日本の音楽教育批判とその変革についての書であるが、氏は幼年期ないし子供時代の音楽体験が非常にに大切で、”わらべうた”こそを音楽教育の根幹に据えるべきだと一貫して主張してきた。20年以上におよぶわらべうたの…

桃山晴衣の音の足跡(10) 桃山晴衣と小泉文夫

桃山晴衣が小泉文夫氏と初めて会ったのがいつかは定かではないが、於晴会の仲間だった水沢周氏から、高田宏氏編集による当時非常にナウかった対話叢書「エナジー」の4号「音の世界図 団伊玖麿+小泉文夫」をすすめられて読み、「ほかにも二、三先生の書物に…

桃山晴衣の音の足跡(9) 小泉文夫著『おたまじゃくし無用論』

25日は昨日の演奏会とはうってかわった内容のレクチャー「桃山晴衣と日本音楽」を吉祥寺のサウンドカフェdzumiで持った。ここは少々日本音楽とはほど遠い欧米のフリー・インプロヴィゼーションやフリージャズなどをハイパーサウンドシステムで聞かせるこだわ…

馬喰町ART+EAT エリック=マリア・クテュリエとのフリーインプロビゼーション

24日はエリック=マリア・クテュリエとのコンサート。春の訪れ間近い郡上から久しぶりの東京へ。コンサート会場は馬喰町のART+EATで、ここは今回で4回目の出演になる。このギャラリーは郡上の木工工芸家、井藤昌志くんが製作した素朴でアーティスティックな…

桃山晴衣の音の足跡(8) 岡本文弥と菜美子、その二

「菜美子のこと」は今の文庫本の大きさのしゃれた箱入り単行本「芸渡世」に掲載され、その後版を重ねているが、そのたびごとに箱も本もデザインが異なり、一冊目にはなかった菜美子の写真が三冊目には登場して来る。岡本文弥師はほとんどの自著をほのぼのと…

桃山晴衣の音の足跡(7)岡本文弥と「菜美子のこと」

「かつて「思想の科学」という雑誌があった。そこには当代の芸術家、批評家、詩人などのうるさがたが、群雄割拠してはなばなしく論陣をはっていた。時代をリードする雑誌だったと言っていい。 その雑誌に拠る論客たちが、こぞって推挙するアーティストが、若…

桃山晴衣の音の足跡(6) 語りと現代文学

74年から75年にかけ、三回にわたって催した「古典と継承」で、桃山晴衣は多様な試みをしている。第一回はゲストに平曲の井野川幸次検校を招き、三味線で地唄「高雄山」を演奏していただき、自らの演奏で三味線復元曲、江戸小唄、そして新たに作詞・作曲した…

桃山晴衣の音の足跡(5)語り物と落語

「古典と継承」シリーズを開催した74~75年にかけて桃山晴衣は多くの落語家と出会っている。中でもよくコラボレーションを行ったのが当時の三代目桂小文枝(後、五代目桂文枝)。73年頃、当代随一といわれたハメモノ入りの噺の一つ「立切れ」に、氏が普通は…

桃山晴衣の音の足跡(4)語りもの

桃山晴衣が父、鹿島大治氏の後見で桃山流を名のっていた頃は小唄、端唄、そして三味線の古譜解読による復元曲などがレパートリーの中心となっていたことを先に述べた。この頃は父上の意向が大きく作用していた時でもあったが、60年代中頃に四世宮薗千寿師の…

東京でのコンサートすでに・・・・

昨日の今日で申し訳ありません。馬喰町ART&EATでのエリックとのコンサートはすでに、予約が殺到し、わずかキャンセル待ちと立ち見席で調整を計っているという連絡がありました。葉書でご案内した方など、これから申込みをという方もあっただろうと思いますが…

東京でのコンサートとレクチャー

昨日とうってかわって今日は春の気配さえ感じる暖かさ。周りの雪も次々と融け出し、綿帽子を被っていた樹々は葉脈のように枝々を露にしています。 さて今月は久しぶりの東京詣で。急遽、東京でのコンサートとレクチャーが決まりましたのでお知らせします。コ…